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雑に扱っていい人間

「あなたは自分に自信がなさそうに見える。もっと自分に自信をもって」

自己肯定感が低すぎることを中高大と他人から指摘され続けてきた。

そんなことは無い。

僕は自分に自信が無いなんて思っていなくて、自分の能力や個性にそれなりの誇りと自負を抱いている。

それに、自信を持てとうるさく言われるが、ちゃんと考えて大胆に行動する力もある。

自信が無さそうに見えるのは、おそらく、他人から雑に扱われ続けてきたことで、自分自身の価値を物凄く低く見積もる羽目になってしまったことが原因だと思う。


気弱そうな外見が、気弱な内面を作り出した。

そう思う。

例えば、

大学生まで僕はチビでガリで、陰気な見た目をしていた。

だから、よく駅のホームでスーツを着たおじさんに故意にタックルされたし、道端で職業不詳の爺さんに目をつけられて自転車でひき殺されそうになったことも何度かある。

意図的に他人から、ストレスのはけ口や自分の力を誇示するための道具として扱われることの不快さや惨めさ。

高校の教師や自動車学校の教官に強く当たられることもあった。

僕は声が小さいし気も弱そうに見えるから、何も言い返さないと踏んで、人の気分を害するような発言を平気でしてきた。

僕の時だけ、なぜか理性のリミッターが外れる。

他の人からは評判が良いと聞く。僕だけに強く当たる。大きな声と汚い言葉で罵る。

それも誰も見ていないところで。

体操服のズボンを忘れて借りに行っただけで、1度も話したことのない教師から、お前はどんくさい、ろくな人間にならない、と強い口調で言われなければならないのか。

自分が100悪いのかと自己嫌悪に陥る。

自分の性格に問題があるのかと、

自分の被害妄想が強いのかと不安になる。

でも、目くじらを立てて非難や叱咤されるほどのミスや無礼を働いた覚えがない。

それに、

僕は、言い返さないし、やり返さない。

蹴られたら、へらへらして笑って済ます。

サンドバックにピッタリな人間を見つけたから、

ストレスの解消として、虐めにかかる。

そうだと感じ、悲しくなる。

そして、自分に自信を持つとかそういう次元じゃなくなる。


大学2年になって身長が伸びて、体重が増えて、筋肉量が増えた。

そしたら、

駅のホームでおじさんからタックルされなくなった。

道端で爺さんにひき殺されなくなった。

声が大きくなって、どうにかハキハキ喋れるようになった。

そしたら、

人から強く当たられることが極端に減った。


男も女も、こいつと喧嘩して絶対に勝てると踏んだら、人を雑に扱い、人間サンドバックにする習性があるのだと思う。

人間、全員が全員そうだとは思わない。

主語が大きい。

でも、そういうナチュラルに人を見下し、雑に扱う人間が1人でもいることを僕は知っている。

室伏広治みたいに筋骨隆々な見た目で、大学で教鞭をとる知性をもった人間に、

誰が突っかかったり、暴言を吐いたり、蹴ったりするだろうか。

人間性が優れているだとかは、一旦置いといて。



自己肯定感が低く、自信が無さそうに見えるのは、自分のせいじゃない。

自分の見た目でだいぶ損をしている。

そう思うのは僕だけだろうか。

他責思考はよくない。

けれど、

見ず知らずの人間から、

タックルされたり、

自転車で故意にひき殺されそうになったり、

蹴られたり、

目上の大人から、

謂れのない暴言を吐かれたり、

自分の知らないところで、自分の失敗を晒し物にされたり、

それを全部経験してから、

話はそれから。


社会人というのはこれまで以上に理不尽に、

怒られるし、

暴言を吐かれるし、

蹴られるし、

辱めを受ける、

それが当たり前の世界なのかもしれない。


そんなことあってたまるか、

と思う。

雑に扱われたくない。

だから、

いろんなことを勉強して、

筋トレを頑張って、

理不尽の総量を、

できる限り減らそうと思う。


雑に扱っていい人間はいない。

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