とあるnoteを読んで
私は、大切なのは、そのカテゴリー分けされた“教”枠ではなくて、その中で言われてることなんじゃないかな?って思ってる。枠はそれぞれその祖や受け継ぐ人の解釈で形成されたもので、遡り辿れば核は概ねひとつなんじゃないかなと思っているし。
だから彼は、その中身のだいじにしたいと思う部分を歌に織り込んで放っていて、でもその枠には触れない…特に言及する必要がない、枠ごとお勧めするつもりはない、と思ってるんじゃないかと、私なりに受け取ってる(寧ろその枠に囚われて可否の判断されたくないんではな