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Wkn’Hdな日々に花を注いできらりといきたい

Workin’Hard のリズムとか雰囲気に、ただひたすら日々直向きに努力を積み重ねる感じを受けている。最後のロングトーンのところでそれまで堪えてたものが発散されて報われる感じ。対象はきっと聴くひとそれぞれだから、試合だったり試験だったりするのだろうけど、人生ならそのロングトーンは死ぬ間際なのかもって思って、 そしたら、ふと きらり の“どれほど朽ち果てようと最後にゃ笑いたい” がよぎった。「よう生きた」て思えたらいいなあ。死生観は寧ろこっちかもしれない、わたしには。 h

    • スタイル

      (ほぼ半年前か…あることが気になって書き始めたけど、もやりながらも静まったので暫く放置していた) ダサいとかかっこいいとか、一周回ったのか、いい歳になったのか、他人のそれについてはどうでも良くなった。というか、「オシャレだな」「すてきだな」と思うことはあっても、ダサいとかダメとか思わなくなった。 本当に小さな頃から、ファッション含め容姿について興味があり、親からしてみたら面倒臭い子どもだったと思う。しかも細かい。道行く人の服のあのマークがどうだとか、レコード屋に貼られたK

      • とあるnoteを読んで

        私は、大切なのは、そのカテゴリー分けされた“教”枠ではなくて、その中で言われてることなんじゃないかな?って思ってる。枠はそれぞれその祖や受け継ぐ人の解釈で形成されたもので、遡り辿れば核は概ねひとつなんじゃないかなと思っているし。 だから彼は、その中身のだいじにしたいと思う部分を歌に織り込んで放っていて、でもその枠には触れない…特に言及する必要がない、枠ごとお勧めするつもりはない、と思ってるんじゃないかと、私なりに受け取ってる(寧ろその枠に囚われて可否の判断されたくないんではな

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