スタイル

(ほぼ半年前か…あることが気になって書き始めたけど、もやりながらも静まったので暫く放置していた)

ダサいとかかっこいいとか、一周回ったのか、いい歳になったのか、他人のそれについてはどうでも良くなった。というか、「オシャレだな」「すてきだな」と思うことはあっても、ダサいとかダメとか思わなくなった。

本当に小さな頃から、ファッション含め容姿について興味があり、親からしてみたら面倒臭い子どもだったと思う。しかも細かい。道行く人の服のあのマークがどうだとか、レコード屋に貼られたKISSのポスターに興味津々で釘付けだったり。紙製の着せ替え人形には、憧れの服を自分で描いて着せてた。

基本的にはいつも姉のおさがり。体格はほとんど変わらなかったから、姉が飽きて下がってくる頃にはいつもツンツルテンで嫌だった。私の服を買う時は、「私だって新しいが服ほしいのに」といつも母は不機嫌だった。学校で周りの女子が新しい可愛い服を着ているのがとても羨ましかった。

お年玉を多少自由に使えるようになり、少なくもお小遣いをもらえるようになってからは、自分で好みの服を買えるのが嬉しかったし、ファッション雑誌を毎回熟読してはワクワクに胸を膨らませ、洋服屋はリゾートだった。
そんな私を突飛な人という同級生のことは、ダサっ、と思ってた。

大学受験で予備校に毎日通うようになり、自分が通う学校のこ達とは違う界隈のひとたちが周りに現れ、迷走しつつも時間も頭の余白もお小遣いにも余裕がなくただもう、希望の学校に進学するためにうだつの上がらない自分に立ち向かうばかり。なんとか合格して、気がついたら、制服と学校指定の靴と指定のコートしか持ってなかった。
迷走したまま通学するようになり、各々自分なりの個性のあるスタイルの人たちに囲まれて、巷の流行りに捉われない自分のスタイルができるようになっていたときには、とても楽しかった。
卒業してからもずっと自分が身につけていて嬉しい楽しいと思えるスタイルを抑制されない環境ではあったけど、それとは違う界隈の人に対して疑問を抱いていたかも「なんでそんな格好してるの?不思議」。

でも歳を追うごとにある時、いろんなカテゴリーがあるだけで、個々それぞれに好みがあって、その界隈でしかわからないバランスもあって、似合っていればなんだっていいし、自己表現できているなら誰だってオシャレなんだな。って思うようになった。流行なんてめぐるものだし、廃れ始めたらダサいと言われるスタイルも、スプリングコイルのように一周して「新しい。カッコいい」て流行ったりする。

スタイルって、身につけている人そのひとの本質を無視して、ダサいなんて言えるものじゃない。


ファッションは自己表現のひとつであって、自己表現の方法は様々。個性があるのは素晴らしいことだと思うし、認められるのは素敵なこと。共感しあえたら、幸せだな。

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