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この国に生を受けるということ

この国の長い歴史は、博物館には勿論、人々の日々の営みのあちこちに”顔”をのぞかせます

白神山地のブナの原生林は、縄文時代から今に続きます;旧い街々は、縄文(少なくとも古墳)時代からの歴史を刻みます;古墳や神社に、人々は今も手を合わせ続けます;築後100年程度の旧家ならどこにでもあり、伝統的な(工芸・民芸)品は人々の愛着を惹きつけます;”おまつり”に人は集い、浴衣や着物はいまも身近な日常品です;幕末、戦国時代はもちろん、平安時代の人間模様ですら、茶の間の関心を惹きつけます、、、等々

こんなことが「当り前」である”くに”は、この国をおいて他に無い、そう思います

安土桃山時代以後にこの国を訪れた異国人たちの想いも、同じでした

「美しい自然に恵まれた風土。忍耐強く、働き者の農民たち。社会秩序を守り、家族を大切にし、高い教養と道徳心を持ち、礼儀正しく振る舞う人々。どの子どもも大切に育てられ、年配者はみな敬われる。行き交う人々は誰もが陽気で、穏やかな笑みを絶やさない。暮らしは風流であり、芸術的でさえある。豊かで平和で、安全な社会。よく統治された国」 (「世界が憧れた日本人の生き方」 より)

この国に生まれる子供たちは、肉親はもちろん、ご近所の皆さんにも、御先祖様、ヤマの神様それに仏さまにも見守れながら大人になっていきます。そうすることで”人の道にはずれることをすればバチが当たる”と 自ずと理解して身につけるのでしょう。1万年を超えるこの国の歴史がそこに育つ人の心を鍛えるのです。

この国の人々に”利己的段階”の人が少なく、また人々の”他者依存”の質も高いのは、この国の歴史が我々に与える日々の鍛錬の賜と感じます。

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