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「真理」とは自分の「信念」の裏側にある。

アンソニー・ロビンスの「Unleash the power within」セミナーから早3週間。言葉の魔術師である彼が伝えてくれた言葉を、忘れまい、とテキストを読み返しながら反芻していると、面白いもので、その時の自分にピッタリな言葉が目に入ってくる。

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一つ目の言葉:Beautiful state~美しい状態こそがあなたの人生の質を決める!~

二つ目の言葉:Emotional home~あなたの「感情」のホームとは?~

で、今日ふと目に留まったのはこの言葉。

~「真理」とは自分の「信念」の裏側にある。~

今では相手の「信念」が何で、本人が気づいていない、真の望みが何なのか、心の底で望んでいる「真理が」何なのか、が対話から読み取れるようになってきているが、

何といっても一番厄介なのは、自分自身。

自分自身の中に深く深く根付いている様々な「信念」に気づくことは、自力ではなかなか難しい。だからこそ、セミナーに参加したり、マイコーチを付けて、自己理解を図り、真に望む未来を実現すべく、持ち続ける必要のない「信念」を手放していくわけだけど。

私の中に長らく根付いていた、最も厄介な「信念」は「生きている以上、周囲に価値を提供し続けなければならない。」というもので、これはなかなかのツワモノだった。

勿論「信念」には、それを持つことによるメリットもある。例えば「周囲に価値を提供し続けなければならない」という信念を持つことで、私は間違いなく、自らを鼓舞し、仕事などで成果を出すことが出来てきたと思う。

ただ、大事なのはそれを持つことによる「デメリット」を知った上で、折り合いをつけながら持ち続けていくことが出来ているか、ということ。

きっと、何らかの出来事がトリガーとしてあったのだと思う。それを機に、ある時から、どこにいても、何をしていても、誰といても、『自分は「価値」を提供せねば、存在する意味がない』という強い「信念」を持つようになってしまった私は、一人でいる時以外「自然体」でいることから程遠くなってしまっていた。(=ゆえに、一人でいる時間こそが唯一自然体で入れる時間だったので、一人の時間が大好きだった。)

『自分は「価値」を提供せねば、存在する意味がない』という信念を持つことのデメリットに気づけていなかった当時の私は、子供とゆるゆると過ごすという、一見無駄だと思えることを楽しむこと、だったり、自分がやりたいと思っていることを無心で楽しむこと、ゴロゴロしたり、非効率なことに時間を費やしたりすることを、許可できずにいた。

だから、常に意識は「今」ではなく「未来」。新しい場所に行くと「早く価値を提供できる自分であらねば」というセンサーが発動し、「やりたい」より「やるべき」で動く、という自然体から程遠い行動をしていたと思う。

そう、まるでもう一人の私が、私の耳元で「価値を提供できないあなたは価値がない」とコントロールしているかのように。

数年かけて、こうした自分の「信念」を掘り当てた私は、それをお守りに頑張ってきた自分を労いつつ、少しずつお別れを告げ、今ではだいぶ手放すことが出来るようになった。そんな今は、控えめに言っても、本当に生きやすくて、まさに自分の本質、真理を生きている感覚。

アンソニーが言っていた通り、自分の持つ「信念」を一つずつ、小さく小さく見直す先に、真の自分の望み、真理が隠れているのだ。

そしてその真の自分の望み、真理に気づいた時、人はまるでつきものが取れたかのように大きく飛び立つ。

~「真理」とは自分の「信念」の裏側にある。~

先日、ある研修で、かつての私と同じような「信念」を持っているであろうと思われる管理職の受講者の方に出会った。(そのあたりの嗅覚は、職業病ともいうのだろうか、我ながら優れていると思う。)その方が研修終了後に、部下との関係に悩み、質問をして来た時にそっと伝えたのがこの言葉。

「〇〇さん、もっと天然で、緩い部分を部下に見せちゃってもいいんじゃないでしょうか。だってそれが〇〇さんの本来の姿ではないですか?私には丸見えですよ。^^」

その方の顔がぱっと変わったのは言うまでもない。


「あなたは、その『信念』を持ち続けることのメリット、デメリットを理解していますか。」

「そしてその『信念』の裏側にある、あなたの真の望み、真理に気づけていますか?」



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