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映画『やがて海へと届く』

『やがて海へと届く』は親しい人を失う喪失感や絶望感、そこから再生していく人々を描く一方で、すみれというミステリアスな人物の真相に迫っていく物語だ。
しかし、真相は謎に包まれたまま解き明かされる事はない。「人は世界の片面しか見ていない」というすみれの言葉通り、わたしにはすみれがどんな人物かは最後まで分からなかった。真奈やすみれの家族はどうだったか、彼女を果たして理解していたと言えるだろうか?すみれの言葉は、わたし達に向けられた問いかけであり、「相手を理解している」と思う事の傲慢さを指摘しているのではないだろうか?

中川龍太郎監督の演出が素晴らしい。
別視点でのシーンの反復やすみれのビデオカメラの視点、ドキュメンタリー要素の挿入といった、「見る」という行為を意識せざるを得ない監督の演出は、その行為がいかに主観的で断片的であるかを表現し、同時にその限界を指摘している。そこにあるのは、「結局、他人を理解することなど出来ない」というメッセージに思えてならない。一見突き放したようだが、「他人の事は分からない」、そこから出発する事でしか人に寄り添う事は出来ないのだと個人的には感じた。映画『ドライブ・マイ・カー』も同じ出発点に立つ作品だったと思っている。

親しい人を亡くす。これは個人的で普遍的な体験でもある。地震、洪水などの天災や流行病の影響なのだろうか、最近こうした残された者の喪失感を描く作品が目立つように思える。そして本作は間違いなく到達すべき一つの指標として今後、比較される作品になるであろう。

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