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かしましかしましまし Vol.7 (藤居)~Full Swing 最終回~


Filmlandで何か毎週更新できるような企画をやろう!

とぼくが言い出して最終的にスタートした、この各メンバーによる好きなことを綴っただけのnote連載ですが、おかげさまで物事があまり長続きのしないぼくらが、一ヶ月を優に超えて7周目へと至ることができました。

これもひとえに、記事を読んで感想をくださる読者の方々のおかげです。
本当にありがとうございます...!

いままで綴ってきたぼくの記事は、自分の書いた歌詞を他人に説明してるだけの手間のかからなそうなものに思われているかもしれません。頭の中から出てきたものが既に言語化されていて、それをなるべく明瞭に解剖するだけ。といってしまえると思います。

最初は、正直1時間もかからんやろって自分でも思ってました。でも実はどの記事も3時間以上かかってます.....。

理由は簡単です。歌詞には言わば「答え」しかのっていないからです。

①生活の中で思ったこと→②歌詞にする(パラフレーズ化)

この行程で、
①で考えたことはぼくにとっては「途中式」みたいなもので、思ったことに対してそれを掘り下げる、突き詰めていくことが必要になります。

生活の中でこう思ったってことが三つあるとします。
かなりアレな感じですが例としてこんな感じです。

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左が生きてる中でふと思うことやぼくの状況ですね。これら②にするためには歌詞解説でもお馴染み、俯瞰する目線を持つことが重要なんです。お金がなくて美味しいご飯が食べられない状況や、また何もせず1日が終わることに対してどう思うのか、どうしたいのか。または猫になりたいと思ったのは何故なのか、これに関しては例えば楽そうだから、とした場合、何故楽になりたいと思ったのかなど掘り下げていくことができます。

これらのような掘り下げによって出てくる言葉 (この図で言えば右に置いているものたちのことですね) がぼくにとって歌詞の実質的な素材になり得るのです。(基本的に...)

つまり自分で表しといてなんですが、①と②の間にはもう一つぼくにとって超大事な行程があるということなのです。

②の歌詞を作る段階で、扱うのは基本的にその掘り下げたもの、つまり「途中式」から導き出した「答え」だけなんです。これを、これまた頻出の「言い換える」作業によって歌詞に作り替えていきます。

ここで最初に戻ります!
何故自分の書いた歌詞なのにその解説に時間がかかってしまうのか。それは歌詞という言い換え済みの言葉から素材の形 (「答え」の元々のかたち) に戻した後で、「答え」を出すに至るまでの「途中式」を今一度思い出し、再解釈する必要があるからです。

この確かめ算のような作業は、正直自分の言葉選びの稚拙さに嫌になったり恥ずかしくなったりすることばかりです..............。

ただ、こうして文章にして自分の中で反駁することは、自分自身のことをもっとよく知れるだけじゃなく、誰かにこの歌詞を伝えたいと思う気持ちがどんどん高まっているのを感じます。なので前置きがまた長くなってしまいましたが(この構成力の無さも反省します)、こうした記事を読んでくれて、反応してくれる方には本当に励みになっていて、感謝しております。ありがとうございます。

言いたかったことも言えたので、ここらでFull Swing歌詞解説、最終回と銘打ちまして、本編スタートします!

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前回の内容では、「平面の〜」の1行をたっぷり解説させていただきました。この後にギターソロへとつながる展開は曲中でぼくのフェイバリットな部分でもあります。

「転がり続け」ているぼくが、ずっと絢爛とした「」を抱いていたはずなのに、いつの間にか薄暗い「悪夢」の中に囚われていたとして、ぼくと共に「転がり続け」るその「悪夢」もいつしか裏返ってしまうのではないかという仄かな期待の現れがこの1行です。そしていざ「裏返」ったその「悪夢」がぼくが元々抱いていた「夢」へと再び変化した時、ぼくは「目を背けない」という覚悟を持ってラストサビへと突入します。

実際「夢」のような現実というのは新たにいろんな問題を孕むのではないかと思っています。大きな責任だったり取り返しのつかないリスクだったり。怖気付くじゃないですけど一歩立ち止まってしまうことも全然あると思うのです。まあそういう身分になってから言えって感じなんですが...。

加えていうならこれはぼく自身の歌です。自分が本当になりたいもの、目指す場所のようなものからできるだけ目を逸らしたくないというのは、いま自分が身をおくこの生活から生まれる不満や辛さが担保してくれる気持ちです。

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いよいよ最終決戦です!

「鏡」の解説はこちらの回で詳しくさせてもらってるので割愛します!

この冒頭2行はおそらく曲中最もエモーショナルなニュアンスを持ちます。

1番のサビにあった「自分」は「鏡」という他者を媒介した「自分」に「メタ的な自己認識」を持って「花束」を送ろうとしていました。ただしあくまで送ろうとしていただけで「鏡」のなかの「自分」はもちろん、差し出した手を握り返すこともありませんでした。

ですがここまでで「悪夢」の中を「転がり続け」、最終的に「目は背けない」という覚悟を持った「自分」が「手を差し出し」た時、「鏡」にうつる「自分」はそれを「握り返」します。Vol.3で述べた「メタ的な自己認識」の不可能性もここでは突破され、今まで散々垂れたインチキ理論が音を立てて破綻してます。ただただエモーショナルに自己肯定してます。ここまできてそうなるのかって感じですが、A.I.が感情を持つみたいな展開のように、その「個」が別の高次な段階へと上がる時初めて、積み上げてきた理論をぶっ壊すというのはやっぱり爽快です。最後まで独りよがりですみません。

そして、「身体にやどる自分」(より本能的、本質的な自分) は「意識にやどる自分」(「鏡」が写す「自分」) へ、「自分」の血で染め上げた「愛の花束」(自己愛) を送ります。

その「鏡」に映った「自分」の、「疲れ切った表情に」。


ありがとうございました。ここまででFilmlandの楽曲、「Full Swing」の解説を終了とさせていただきます。7回にわたる遅々として進まないこの解説を最後まで読んでくださった方、重ねてありがとうございました!

次回からも歌詞のことを書こうと思いますが、誰の何を書くかとかは全く決まっておりません!!本当に自分の気分次第でネタもコロコロ変わるかもしれませんが、まだまだこれからもこの連載は続いていく予定なので、お付き合いいただけたら嬉しいです。

では、今週も頑張っていきましょう!




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