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かしましかしましまし Vol.25 最終回(藤居)

毎度このnoteの出だしに季節がどうとか気温がどうとか天気がどうとか宣ってきましたが、ふと気づいてびっくりすることありますよね。時間の経つ早さに...

もう9月ですね、夏終わっちゃいましたねとか言ってる場合じゃ無くて、ちょっと気を抜いて半袖で過ごし続けたがために僕は現在鼻がズビズビです。

もっと視点をマクロにするとアレですよ、あと二ヶ月で今年も終わるんです。2021年終わっちゃうんです。うーむ、やはりコロナが流行り出してから時間の経つ速度がどんどん速くなってるような気がしちゃいます。

この感覚にコロナによる状況の変化と因果関係をこじつけることって可能なんですかね。わからないんで、外出する機会が激減して身体的な経験や刺激が減ったとか、おうちにいる時間が長くなることで目にする環境の変化が乏しくなったとか、それによる脳の働きが怠慢になったとか、それっぽい理由で勝手にこじつけておきます。

とにかくコロナ禍以前に比べて、より自主的に、能動的に毎日を過ごす心がけがなければあっという間に時が経つ、とあくまで僕は思っています。

悲しいことに一番顕著にそれを感じるのはこのnoteを書いてる時なんです。

僕の連載日は毎週月曜なのでお仕事が休みの土日の間にバッとかきあげることがほとんどなのですが、いつもそろそろ書くか〜とnoteのページに飛ぶ時、え、ていうかもう前書いてから一週間経ったの!?って気持ちに本当に毎回なります。

なので毎回導入に書くこの雑談も、信じられないくらいネタが思いつかない週がチラホラありました。

で、こういう時に一番見てはいけないのがInstagramです。僕がぽけ〜っと何もせずに布団に横になってる間に、Instagramには友人たちの輝かしい時間が切り取られ、人生というアルバムの1ページと言わんばかりの眩しい写真や映像が絶え間なくアップロードされているのです。

僕ももう立派に自分の人生を四半世紀生きた人間なので、毎度毎度人のストーリーに心を打ち砕かれるようなことはありません。しかし、時に自分の非生産的な時間に穿たれたブラックホールもかくやというべき凄まじい引力を持つ虚しさの穴に気づいてしまうと、もうそこからは落ちる一方です。

何を隠そうこの僕が25週にわたって連載してきた「かしましかしましまし」の最終回という、何かしら思うことがあって良いはずの大事な回を書いている今も僕は落ち続けています。

Instagramを例に挙げてだらしなくくだを巻きましたが、でも思えば僕が今まで書いてきた歌詞はこういう虚しさこそが原動力だった気がします。何かに対する怒りや悲しみとも違う、虚しさとしか呼べないような抽象性。誰に対して、何に対してっていうような感情のやり場がボヤッとしててひたすら自分の中を渦巻いてる黒々とした感覚です。

特にFilmlandで出した「kids」や「Ride on」という曲では、曲中の主人公の行動やそれに纏う風景を展開する原動力としてこの「虚しさ」を、車に給油するガソリンのようにひたすら注入しては燃やしまくっていました。


何かに怒ったり悲しんだりっていう、喜怒哀楽の色濃く表れた歌詞って人を惹きつけますよね。そこに共感性だったりていう作者の表現スキルが加われば尚更です。

じゃあ「虚しさ」ってどうなんやろうって考えた時に、怒りや悲しみと違ってこの気持ちには対象性がないというか、それゆえにものすごくパーソナルな状態な気がするんです。

つまり「虚しさ」を感じるまでの閾値みたいなものがより強く個人に依存するような気がするんです。

だからハナからこれは虚しい状況だ、あれは虚しい顔をしているとかって一つ一つ他人と共同ですり合わせて生まれた物差しでしか、共感できないと思ってるんです。

つまり「虚しさ」に付随する所作を汲み取ってあげることは可能であるだろうということです。しかしそれが発生した理由、その事象そのものを全くの第三者が自らに投影し、同じようなレベルで「共感」するのはとても難しいことではないかと思うのです。

ということはですよ、そんな本当の意味で伝わることのない「虚しさ」を原動力にして歌詞を書く僕はなんて独りよがりなんだろうって事ですよね。

全くその通りです。歌詞だけでなくこの「かしましかしましまし」。解説、考察においても独りよがりでなかったことは一度もありません。

全て僕の中にある「虚しさ」という色眼鏡を通して見た世界をそのまま書き連ねた「曲解」にすぎない自信があります。

でも、それは本当の僕の心が解釈したものであるとも胸を張って言えます。

これからも僕はいろんな本を読んだり映画を見たりして、歌詞も書くと思います。
しかしそれらが自分にとってどのようなポジションに位置するのか、どんな影響をもたらすのかについては、当分僕自信がめちゃくちゃに幸せになって満たされでもしない限り、「虚しさ」による軸が決めるだろうこと、そしてそれがブレることはないだろうと思います。

それはもう長い付き合いなのでわかります。

そんなぼくのどうしようもない文章を25週、およそ半年にわたって読んでくださった方にはお礼の言葉もありません。普通に恐縮します。

もう1週間に2000字も書くようなタイミングなどないかもしれませんが、何かしらまた僕の駄文を読んでくださる機会があればその時は是非感想をお聞かせください。

それでは、これにて「かしましかしましまし」を終了といたします。ありがとうございました!



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