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かしましかしましまし Vol.13(藤居)  ~愚か者になろう!〜 Part IV

各所で既に散々なげかれてますけど、7月に入って2021年もあっという間に折り返しですね...。なんだかんだ25歳とかならまだはっきりと顔とか体とかに老いというか衰えを感じる年齢でもないと思うのですが、あくまで個人的にはっきり言えるのは時間の体感スピードは加速度的に早くなっているということです。

これにはそれなりの持論もあります。
例えば学生時代って毎日学ぶことが変わるし友達との付き合いや部活など1日の中で細かくいろんなセクションがありますよね。授業も1時間前後で区分けされて、体育で適度に体も動かせる。こういう1日における不確定性とか細分化されたスケジューリングって体感時間を遅らせる効果があるような気がするのです。

これは細かい区切りの中で使う脳や体の位置が異なったり、人間関係を含めた環境へのコミットの切り替えがその都度求められるからだと思っております。

充実感という言葉こそ当時は改めて意識してはいなかったと思いますが、今思えば学生時代って、やることなすこと全てが自分の形づくりに還元される超充実した日々だったと思います。もちろんいい意味でも悪い意味でも。

ただ現在は...................................

毎日決まった時間に起きて仕事に行き夜に帰ってくる。とここまで聞くと大枠の部分では学生時代と一緒じゃね?って感じですね。

ただしかし、仕事は学校に行くのとは全く異なりますよね。
もちろん例外はあるにせよ、基本的に仕事は1日を通して学校のカリキュラムほどの細かいセクションがあるわけではないと思います。一週間単位でスケジューリンングされてたり、職種によっては毎日ほとんど同じ業務の繰り返しってこともあると思います。同じことを繰り返してると当たり前ですが慣れが来るので、淡々とこなせるようになります。使う脳や体の部位も限られてきます

ここです。つまり僕はこの現象によって1日の体感時間が早くなってしまうのではないかと思うのです。歳をとるごとにこうした仕事の都合上で1日の脳や体のサイクルが固定化されてしまい、「慣れ」によって時間を手放してしまうのだと考えております。

ただこれらの考察にはなんの裏付けもないのでたわけの世迷言と受け取っていただいても構いません。完全に出典は僕の経験則でしかないのです。

適当にググったら割と近い内容に記事があったので貼っておきます!

ぐだぐだ話してきましたが何が言いたいのかというと、まじで1日終わるの早すぎるし一年経つのも早すぎて本当にこのままおじさんになってハゲ散らかしてただ金はないから食生活は変わってなくて.......ということになるのだろうなという強烈な不安感に襲われているということです。

なんとかこの漠然としすぎてる不安を払拭するために最近先に述べたような細かいスケジューリングを試みております。仕事中も休憩時間はみたいアニメやドラマ、本など一つ選択して全てそれに充てたり、帰宅後は疲れた〜と椅子に座る前に筋トレ→コーヒー沸かす→洗濯する、とかってちょっとしたルーティンを組み込んでみたりしてます。中でも体感時間を遅らせるのに今のところ一番効果的なのは、帰ってから寝るまでに残された時間(僕なら7時間くらい)を帰宅後即スマホアプリでカウントダウンすることですね。

これすると、なんだか時間に追われてる感は出ますがまだあれもやれるしこれもやれるな!というような気づいたら一日終わってたみたいな事態は防げます。

すげえ意識高い系な文章ですが、毎日じゃなくとも時間の経つ早さにうんざりし始めた時なんかにこれをやってみるくらいで効果的だと思います。いきなり毒を吐きますが、僕はファスト映画とか倍速鑑賞とかには全く魅力を感じていないし広まるべきじゃない行為だと思っております。

それではそんな細かいことはさておき今日も今日とて愚か者になろう!「Get Stupid」歌詞解説の続きをやっていきたいと思います。

正直同じ曲を4週も聴き続けてるぜってことあんまりないですよね。僕は全くないです。ただもしかしたらこの歌詞解説をひょんなことから読むことがあってそれをきっかけに曲も聴いてみるかとかなれば御の字...という藁にもすがるような思いを胸に僕はこのnoteを書き続けます。なにってFull Swingの時もそうだったんですが、最後まで書き切れるとなんか妙に達成感あるんですよね。

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前回では、サビの頭である「目に映らなくなる 僕らの痕跡も」というフレーズに若干触れて、そこからスローダウンする曲調と作り手である僕自身の考えとをリンクさせてお話ししました。

ちなみにその部分のスタジオ練習の様子も貼っておきます。

「目に映らなくなる僕らの痕跡」というのは先ほど解説した「不安定」の産物によるものですね。環境に依存するぼくはスピードアップしていく「季節感覚」のなかで自分のやってきたことや思いまでも見失ってしまいかねませんでした。例えば今はこれが売れる!とかこうすればバズる!とかそういうものの見方にしんどくなってしまうこととか。もちろんこれらはある程度売れるためには必要なアプローチやしまだまだ甘えているのもわかってはいるんですがね...

前回こうやって綴った通り、加速していく「季節感」によって「不安定」になった僕の環境は、それに依存している僕自身の感性や表現にも影響を与えてしまいます。多分よっぽど鈍いか天才系の孤高人じゃなければみんなこうなっちゃうと思いますが。

そうやって世間で加速していく「流行り廃り」(季節感)についていくには不安定の中を必死にしがみついている必要があります。でも上に書いてる通り、僕はそれを意識しすぎて自分たちのやりたかったこととかが悪い方にぶれたりいやいや嘘ついてまで続けていく方が嫌だったのです...。

そしてたどり着いた境地が、「気にしなくていい 分からなくていい そんな気がしたよ」ということなのですね...。

別に投げやりになったわけではないのです。

痕跡というのは僕らがとってきた行動が残した、いわば過去の記録な訳です。自分のやってきたことに自信を持つのはいいことだと思いますし、それが環境の一部となり目に見える形で残るというのは誇らしいことだと思います。

ただそれがうまくいかなかった場合、つまりこの歌のようになった場合どうすればいいか。愚か者になるのです!気にしないでいいや!

つまり僕らの選択して残してきた痕跡が「季節感」に押し流されて「次第に目に映らなくな」ったとしても、それがそこにあったことや押し流されて見えなくなった事実を覚えているならそれでいいだろうということです。その記憶が「不安定」な僕たちの環境に対して、今度は自分たちなりに乗りこなそうとするのか、はたまた過ぎ去っていくのを傍観し続けるのかという新たな選択につなげてくれるわけですね。そのヒントを教えてくれます。

つまり「Get Stupid」。バカになろうとするのはバカじゃないからです。ということはバカになろうとする人たちはバカなふりをすることしかできないのです。ただそれでいいのです。バカと天才は紙一重というように双方とも誰にでもなれるものではないからです。

ヒントを知るために気にしないバカの「ふりをする」のです。さすれば道は開かれん。僕らのプライドとかやってきたことの意味みたいなものは時に気にしないふりで保たれることもある、気がしますね...

次週へ続く

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