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かしましかしましまし Vol.19(藤居)〜波を聞いてくれ〜 III

——————最近めっちゃ寒いですね。(筆者 神奈川県在住)

前回の記事で僕と苦境を共にする「クーラーを持たざる民たち」へ向けた真夏の夜の入眠術を提案したわけなのですが、もう一切合切がアダでありムダでありヘタすれば風邪を引いてしまうくらいの寒さです。もう完全なるピエロ記事です。

僕も扇風機はもとよりエアリズムなんて全く使ってません。着込んでます。スウェットとか。暖房が欲しいです。

そういえば最近地球温暖化なんかの異常気象について言われてるのをあんまり目にしない気がします...結局なんかしら対策とかって進んでるんですかね。コロナでそれどころじゃないか...

そんな取り留めもないことをあれこれ考えたりしながら、この土日も大半をお家で過ごしていました。

映画でも観ようかとMacbook proを起動、普段使いのブラウザであるSafariを立ち上げ、スタートページからAmazon primeのサムネイルをタップする。

——————少し書き加えると、他にもU-nextやNETFLIXといった映像作品のストリーミングサービスを契約している中で、今回Amazon primeを選んだのは、3日前の8月13日午前0時より独占配信が始まったシン・エヴァンゲリオン劇場版のことを思い出したからだ。

僕自身、この作品は公開初日に映画館に駆けつけたくらいでかなりの期待度を持っていたし、実際鑑賞した後もその期待値を軽々超えてくるような素晴らしい内容だった。

そしてTwitterなどSNSで湧き上がる考察の嵐。皆が一様の意見で馴れ合っているのではなく、どの考察にも鑑賞者の愛や好奇心に基づいた情熱のような多様さがみられ、一部では考察自体のブーム化が起こっているとも言われている。

2度目3度目と作品の持つ熱量、感動に当てられたファンたちが劇場に足を運ぶのを目にした当の僕はというと、公開初日にこの映画を見て以来、逆にエヴァンゲリオンへの興味が引いていくのを感じていた。

簡単にいうならば「満足」してしまっていたのだ。そして根がどうしようもなく天邪鬼にできている僕は、世間が一斉にその興奮に沸き立っている様を見て鼻じらむ思いまであったのだ。

ある程度自分なりの下手くそな考察を経て、20年以上もの間世界のファン達を虜にし続けたこのエヴァンゲリオンという作品の終止符を割と綺麗な形で心に打つことができた。逆にいえばその「終止符を打つ」ことそのものに満足してしまっているからこそ、興味を失ってしまったのだろう。つまり「天邪鬼」かつ「ミーハー」、という矛盾とも取れる浅ましさを内に飼っているのだ。

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何が言いたいかというと、結局「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は見なかったということです。その代わりに「復活の日」という原作小林左京、監督深作欣二、主演草刈正雄という絶対おもろいやん映画を見ました。

結果から言うとそんなに言うほどおもろくはなかったです。

では前置きもほどほどに歌詞解説の方入っていきたいと思います。


前回の記事では、難解であったA2の歌詞について解説していきました。

「手綱」、「愉快なゆりかご」などの散文的な単語群がどのような糸(意図)で結ばれていくのか。

「運命」と言うその主体を決定するもっと根源的な存在、「誕生」を象徴づける「ゆりかご」の役目...

どんどんスケールは膨らんでいくばかりです。最終的には宇宙が舞台になっているかもしれません。頑張っていきますのでよろしくお願いします。

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続きです!

A2の後半歌詞ですね。淡色とはその名の通りベージュとかそう言うくすんだ感じのあっさりしたカラーのことです。「淡色のコート」も言わずもがな比喩表現でしょうね。色合いに意味を持たせる文化としてはやはりLGBTの社会活動を象徴する「レインボーフラッグ」が想起されるでしょうか。

時は遡り1978年。サンフランシスコのアーティスト、「ギルバート・ベーカー」により制作された8色で成るこのレインボーフラッグは、LGBTなどによる多様性の権利を主張するパレードで使われるようになります。

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そして下記のように、さまざまな生き方やその権利と調和を願い、各色に意味を授け象徴としているのです。

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では仮にこのレインボーフラッグ的色彩の意味づけを意識したとして、問題は「淡色のコート」です。

淡色」。つまりレインボーフラッグのようなはっきりとした色ではなく、くすんだような、どっちつかずな色だといえますね。繊細な色ともいえます。

つまり「何者にもなれない」、ある意味「目に優しい」色を羽織る人々。

そこに降り注ぐ「」。「手綱」を引くことも叶わず、ただ「運命」という馬の背中で、運ばれるままの騎手のコートに次第に降り積もる「埃」。

「渇いた靴」をはき「淡色のコート」を羽織った「操り人形」は、ただ行進していく...埃に塗れていることにも、おそらく気づかずに。

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曲を聴いていただけばわかる通り、A2の後に一度間奏を挟みます。この僅かな曲の起伏が僕は好きです。歌詞の内容もここから佳境に差し掛かります。

「石を積む」と言う行為にはさまざまな意味や場面がありますね。例えば「石積み」と呼ばれる石を積んで壁などを作る建築様式があったり、「石積みアート」なる雑多な小石からうまく選び取って乗せていくことで、その繊細なバランスや見た目をアートとする文化があります。

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ただし、この歌詞では何を指すかなどハナから決まり果てております。

墓・・・!

山頂付近や高地などに作られる、天然には生じない、人によって組まれた積み石の事を「ケルン」と言います。(ケアンともいうらしい)

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これは山の山頂を位置付けたり、道標のためなんかにも組まれるらしいのですが、主な理由として「埋葬場所の特定や慰霊」というのがあります。

「過去」を遺し、慰めるために「積まれた石ころ」がなぜ「彼ら」を潰すのか。

続きはまた次週!



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