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君たちはどう生きるか問題に悩む日々

BBCがジャニーズ事務所をテーマにドキュメンタリーを制作しているという話を耳にしたときから注目し、3月にNetflixで公開されるとすぐにチェックした。1999年に週刊文春が特集企画で連載していたのも知っていたし、それ以前から竹中労氏やジャニーズに所属していた方たちが執筆した本の存在は知っていた。

書籍は読んでいないけれど、週刊文春のキャンペーンは大型企画であったし、当時、出版業界で働いている人間ならほとんど読んでいたと思う。では、なぜ週刊文春が取り上げ、裁判になり、しかも、高裁で事実認定されたのにも関わらず、追随するメディアは現れず、社会問題化しなかったのか。辺境ライターとはいえ、長く仕事をしてきた身としては、この問題の深刻さを考えざるを得ない。

私は仕事の信条として、取材対象者を傷つけたり、読者をごまかすような原稿は書くまいと心に誓ってきた。一度、紙面に載ってしまうと、取材を受けてくれた人たちが「これは違う」と感じても反論したり、訂正する場が持てないからだ。今はSNSで多少の反論はできるし、明らかな間違いがあれば、メディアも訂正や謝罪を出すようにはなってきた。しかし、メディアが持つ暴力性が軽減しているわけではない。つねに暴力性を肝に銘じて書く姿勢は、今も昔も変わらず必要なのだ。

読者の受け取り方も人それぞれの部分があり、書き手としての限界はあるのだけれど、もしかすると1つの記事によって、その人の人生が左右されることがあるかもしれない。そう考えると、誤解ができるだけ生じないように、言葉一つひとつに神経を研ぎ澄ませて書き、信頼できる編集者と媒体が発行される直前まで、何度も内容を確認していくことしかないと思っている。それでも記事が公になってから、あれでよかったのか、と思うことは少なくない。

私の執筆フィールドは、主に医療や食の分野。人物インタビューも企業関係者や一般の人に話を聞くことが中心だ。たまに俳優やアーティストなど芸能関係の人にインタビューすることもあるが、著書や新譜、新作映画など、何らかのトピックがあるときに限られる。ジャニーズ問題のような社会性の高いテーマは、東日本大震災以外、書いたことがない。

また、執筆量が多かった時期につきあっていた編集部は女性誌、それも実用雑誌が中心。一般誌でも実用情報の企画だ。だから、週刊文春がキャンペーンを張っていた頃に何かできたかというと、何もできない立場ではあった。社会問題を扱う編集部と縁がなく、人脈もまったく持っていなかったからだ。一般誌の仕事が多くなった今もジャーナリスティックな記事とは縁遠い。

そんな人間でも、ジャニーズ事務所が公表した「外部専門家による再発防止特別チーム」による調査報告書には衝撃を受けた。被害者の多さはもとより、期間の長さが私の仕事人生とほぼ重なるからだ。

9月14日に放送されたTBSラジオ「荻上チキ・Session」のなかで、ゲストの同志社大学大学院の小黒純教授が、当時の週刊文春の編集長から聞いた話を語っていたが、編集長も性加害が高裁での判決後も続いていたことに驚いていたという。

今、メディアによる忖度が問題視されている。直接的にジャニーズ事務所と交渉する場にいた人たちには、不均衡な力関係による忖度はあったかもしれない。しかし、そうではない周辺にいた人間にとっては、忖度というより、関心の焦点がそれていた、という表現のほうが当たっている気がする。つまり、無関心による空白期間だ。その感覚は、旧統一教会の問題とも重なってくる。

ジャニー喜多川氏の性加害問題は、メディアのなかで雨が降ってくることはない暗雲のような存在だった。多くの人が「噂」としてぼんやりと認識し、空の上に広がってはいたけれど、雨が降ったり、雷が鳴らなければ、いつか消え去る暗雲として見過ごしてきたのだと思う。

ジャニーズ事務所の記者会見以来、報道量は一気に増えた。しかし、今のところCMスポンサー企業の動きを伝えるニュースが中心で被害者救済に関するものは乏しい。前述の小黒教授も指摘していたが、BBCの放送や調査報告書が発表されたあとも、記者会見まではメディアの動きが鈍かったこと、たとえば第三者委員会を設けてメディアの責任を検証する動きが見られない現状を考えると、違う形にはなるだろうが、似た問題が繰り返されるのではないかという危惧は否めない。

また、問題が長期化した原因を追及することはもちろん重要なのだが、被害に遭った人たちがこれから「生きててよかった」と感じる瞬間が少しでも増える方向に力を尽くすことを忘れてはならないと思う。

そのなかで私が何かできるとしたら、仕事ではなく、一人の人間として、他人ごとではなく、遠かった暗雲を自分の体のなかに取り込み、それを一つの種子として性被害の問題を考え、感じたことを表に出す必要があれば、書いていくことなのではないかと思っている。

身体の奥から出てくる言葉が醸造されるまでは、時間がかかる。考えが行きつ戻りつし、その揺れ幅に振り回されることもある。今はそうした曖昧模糊とした気持ちや考えを丸ごと引き受け、過去を振り返り、報道を分析しながら、自分の奥深くに潜む言葉を探っているような状態だ。


仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。