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新玉ねぎの透明な甘みが教えてくれる料理の喜び

自粛生活で新しい対応を迫られる料理家の先生たち

 新型コロナウイルス感染症予防の自粛生活が始まって以来、フリーランスで活動していた人の多くが困った状況に陥っている。料理家の先生もその一群だ。レシピ本を出すと名前も目立ちやすいが、出版だけで生計を維持するのは難しい。そこで、先生たちの多くは、自宅のキッチンやアトリエを料理教室にして教えたり、食品会社の商品やレシピ開発に関わったり、イベントの講師などを受けることで収入を確保している。

 しかし、自粛要請で集会が制限されたことで、料理教室が開きにくくなってしまった。料理教室は定期収入の柱になるだけに、開催できないのは生活の基盤を直撃する。先生のなかには、YoutubeやFacebookの動画配信機能を使ってライブキッチンを公開するなど、ネットへ活動を広げて対応している人もいるが、直に教えたほうが伝わりやすい「おいしさ」を動画や写真で表現するのは、技術と経験が必要になる。だからこそ、料理撮影に熟知したプロのカメラマンが必要になるのだけれど。

 そんな状況のなか、私がお世話になっている料理家の一人、林幸子先生は、自身のホームページで、目から鱗のワンポイントレッスンの記事を増やした。「グー先生」の愛称で親しまれている林先生は、何をどうするとこの味になり、このポイントを抑えるとうまくいく、という、おいしく作る極意を「言葉」で具体的に教えてくれる。そのため、料理教室には和食や中華などのバラエティに富んだ家庭料理から、ロールケーキやタルトなどのお菓子まで、幅広くマスターしようと、長く通い続けている生徒さんも多い。

レシピの行間を裏付ける料理家の試行錯誤

 料理が面白いのは、野菜や肉、魚の食材が厳密に言えば、一つとして同じものがない自然由来のものなのに、調理のプロセスは化学反応の積み重ねで構成されることだ。また、レシピでは食材の切り方から火加減、味つけまで、その通りに作ればできあがるように説明されているが、「なぜそれが必要なのか」の理由は省かれている。料理家は、最終的に口に入る瞬間、「おいしい」と感じる一点に向かって試作を重ね、誰が作ってもその味になるように、分量や調理のブレを修正し、レシピを作り上げている。つまり、私たちが本やWebサイトでレシピとして読む文章には、その行間に料理家の先生たちの試行錯誤が裏付けとして隠れているのである。

 そして、料理教室は、その試行錯誤から生まれた裏付けの部分を直接、教えてもらえる機会だ。本やWebサイトに掲載されているレシピが、肉や香味野菜を煮詰めて凝縮させたスープストックとすれば、料理教室はスープストックができるまでのプロセスを教えてもらい、レシピの行間を理解する場なのだと思う。その意味で、林先生はレシピの行間を初心者にも分かりやすく、楽しく教えることが抜群にうまく、内容の信頼度も非常に高いと私は尊敬している。

シンプルなおいしさの背後にあるもの

 その林先生が最近、ブログに新玉ねぎを使ったスープの記事をアップした。その後、たまたま林先生から、大阪の泉州地域で撮れた新玉ねぎをいただいたので、さっそく“グースープ”に挑戦してみた。

https://www.yukikohayashi.com/post/新玉ねぎの季節です

 作り方は「え?これだけ?」というシンプルさ。味つけも塩、こしょう、オリーブオイルだ。「どんな味なのだろう」と食べてみたら、新玉ねぎの柔らかで透明感のある甘みにオリーブオイルの香りがアクセントになった、やさしい味のスープだった。それでいて、満足度が高かったのは、新玉ねぎに力があったからだろう。良質の食材を使えば、凝った調理は必要はない。けれど、調理をすることで、その食材が持つ魅力をより際立つ形で味わうことができる。新玉ねぎのスープは、『久松農園のおいしい12カ月』の取材を通して久松達央さんと横田渉さんに教えてもらったことを、思いがけず、林先生の料理からも教えてもらう機会になった。

 今はコロナの自粛生活で自炊を余儀なく強いられている人も多いだろう。料理本が書店の一角を占め、ネットにはレシピがあふれているが、「簡単な調理でおいしく食べる」ことが「スピーディー」と「手抜き」に変換されたことで、「コレ、ホントにおいしいかな?」と思うようなレシピを見かけることもある。食の好みには人それぞれの部分もあるので、私には合わなくても、おいしいと思う人もいるだろうから、そのレシピのレベルが低いとは言えないのだが。

 そんなときに思い出すのが、料理ブログが台頭し、人気ブロガーが料理本の著者になり、ヒット作を生み出し始めた頃、ある料理家の先生にした質問だ。「家庭料理家として、プロとアマチュアの違いは何か」とたずねたことがある。先生の答えは、「再現性」だった。誰が作ってもその味になるレシピを構築できるかどうか。それがプロとアマチュアの違い、ということだ。

「再現性」のレベルがプロとアマの差

 レシピには著作権が適用されない、ということになっている。そのため、ネットには、「あの先生のレシピが元かな?」と気づいてしまうようなレシピをときどき見かける。また、最近は運営サイトが告知することで、だいぶ減ったようだが、出典元を明らかにしながら、少しアレンジしたものを自分のレシピのようにアップしているユーザーも少なくなかった。確かに、ポピュラーなメニューのなかには、作り方に個人差がほとんどなく、複数の料理家のレシピを比べても、材料や分量が少し違っているだけのものもある。だが、やはり、本物のプロの料理家のレシピは違うと私は思う。骨太のレシピは、「なぜ、この味になるのか」の試行錯誤と料理家の経験値が、再現性の確かさとおいしさを支える土台になっているからだ。

 では、レシピ制作の過程で試行錯誤すれば、誰でもレベルアップしたレシピが作れるのか、というと、これも不思議なところで、そうとも言い切れない。やはり、ある水準以上の料理家のレシピは、その人にしか出せない味に作り上げられていて、しかも、受け手の私たちが作っても再現しやすい工夫がある。

 林先生の新玉ねぎのスープは、あまりにも簡単に作れるので、この話に当てはめるのは失礼のようにも思うが、私はスープを飲んだとき(ほぼ食べるピューレだけど)、「この味はとてもグー先生らしい」と感じた。簡単だけれど、満足度が高く、この調理法だからこそ味わえるからだ。シンプルな料理ほど、おいしさを引き出すツボのありかを知り尽くしたプロの知識と技術が現れるのではないだろうか。

「簡単に作れておいしい味」には、調理のプロセスを省く「手抜き」でも、何かで代用することでもなく、素材の持ち味を生かし、「食べたときの満足感」をいかに引き出すかの知恵と工夫が必要なのだと思う。そして、実際の調理を通してレシピに込められた知恵や工夫に気づき、料理の面白さを教えられたときに、その料理家のファンになる。本の作る立場から言えば、作り方の手順を単純に並べたマニュアルではなく、素材の持ち味と料理の面白さも含めた情報をどうしたら分かりやすく伝えられるか。そんなことを考えさせられる新玉ねぎのスープだった。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。