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『私の夢まで、会いに来てくれた』と『津波の霊たち』の不思議なご縁

 東日本大震災に関係する本は、震災直後から3年くらいまでの間にはかなりの冊数が出たけれど、その後はポチポチ。被災地以外の人々の興味が他に移るにつれて、新刊は復興やグリーフケアなどに関する専門書が中心になっていった。

 そんななか、毎年、フィールドワークのレポートを書籍化していた金菱清先生から相談があり、縁あって私も関わりながら制作したのが、『私の夢まで、会いに来てくれた』だ。震災から時間が経ち、よりいっそう、被災した人たちへの心の寄り添い方がクローズアップされるようになっていた。

 夢の話をファンタジーでもなく、フィクションでもなく、そこに「あるもの」として読者に共感してもらうために、どう構成したらいいか、ジタバタと編集者とやり取りしていた頃、目についたのが『津波の霊たち 3・11 死と生の物語 (ハヤカワ文庫NF)という新刊のニュースだった。著者は英国人ジャーナリストのリチャード・ロイド パリーさん。リチャードさんの名前も知らなかったが、長く日本で活躍するジャーナリストが、どのように震災を描くのかには、とても興味があった。

 『津波の霊たち』は、まず英語の本として出版された。Kindleで購入できたので、さっそく買い、ざざーっと読んでみた。英語が得意ではないので、精読というより、どんな内容なのか、ざっくり把握するくらいしかできなかったが、これまでの震災本とは視点が違うことは把握できた。

 その後、早川書房から日本語版が出版され、じっくり読むことができたのだが、国内外に発信された大量の震災報道の下で、どのようなことが起こり、人々がどう行動していたのか、日本以外の人に知ってもらうには、最良の書だった。また、この本の柱の一つが大川小学校の悲劇なのだが、なぜ74人もの子どもたちが犠牲にならなければならなかったのか、震災の日からその後の裁判も丹念に取材し、事実を積み重ねて伝えてくれていた。知らなかったことも多々あり、後世の人たちが災害対策の参考にもなる貴重な資料にもなっていた。

 私は『津波の霊』を読みながら、リチャードさんと金菱先生に対談してもらったらどうだろう、と考えた。本のPRという側面ももちろんあるが、お二人とも震災にまつわる「霊」をテーマにした本を書いている。社会学者であり、地元に密着したスタイルのフィールドワークから「霊」の存在を見つめる金菱先生と、幽霊に関する小説や戯曲も多い英国出身で、日本での生活が長く、ジャーナリストとしての鋭い視点も持っているリチャードさんが語らうのは面白いのではないか、と思ったのだ。

 その対談が2018年3月、「AERA」に掲載された、この記事である。

 私のような職人ライターは次々と舞い込む取材と記事を書いていくため、過去の記事を振り返ることは、じつはあまりない。時間が経ったことで内容が古くなることも多いからだ。だが、この記事は、折に触れ、読み返すことが多い。紙面が限られているため、お二人の対談もぎゅっぎゅーっと凝縮した形でしか原稿にできなかったのだが、読み返すたびに、語られた言葉の意味を考えさせられるのだ。

 そんなお二人の本が、今年、文庫化されることになった。私は『私の夢まで、会いに来てくれた』の構成担当なので、もちろん、文庫化の計画をかなり前から知っていた。文庫化の作業も終わり、あとは2月5日の発売日を待つばかりと、ほっとしていたところに、『津波の霊たち』も文庫化されると知って、「ほー」と思っているところだ。

 発行から時間が経ったことと、震災から10年という節目の年なので、文庫化されるのは不思議ではないのだが、なんとなく勝手に『津波の霊たち』には親しみと身内感を持っていたので、同時期にお二人の本が文庫化されるのはうれしかった。

 日本のノンフィクションは、取材対象者の心情を描くことに注力し、ウェットになることがままある。そのため、私は読みながら、なぜそれが起きたのか、背景に何があったのか、もっと客観的な情報が欲しくてもやもやすることがあった。そのもやもやを『津波の霊たち』にはまったく感じることがない。東日本大震災をテーマに、情緒的なバイアスをかけ過ぎることなく、事実を深く掘り下げ、一般にも読みやすい本は、じつはそれほど多くないように思う。

 震災から10年の月日が流れ、一方で、新型コロナの対応で、日本社会の欠点があぶり出されている今、『津波の霊たち』は、あらためて読む価値のある本だと思う。


仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。