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仕事のプロフィールを書くのが後ろめたい
草の根ネットの頃から、私はアカウントを作り続けてきた。ホームページもhtmlのタグをポチポチ打ちながら作ったし、ブログも持っていた。SNS時代に突入してからも、新しいサービスが登場すれば、いち早くアカウントを作ってきた。
そんなインターネット老人会の資格が十分にある私だが、SNSアカウントのプロフィールを書くときには、いつもどこか後ろめたい。長年、ライターはしているものの、基本が媒体からテーマや企画を与えられ、それに沿って取材し、記事をまとめていく職人ライターなので、さほど自慢して書けるプロフィールがないというのが一番の理由。著書はあるが、いまだに「こんな私が自分の名前で本を書いてすみません」という気持ちになってしまう。
2つめの後ろめたい理由は、「お仕事募集中」とプロフィールに書けない。紙媒体が激減しているのだから、「お仕事待ってます!」のアピールをしたほうがいいとはわかっているのだが、「まぁいいか」と思ってしまう。そんな悠長なことを言っている身分ではないくせに、である。
過去の経験はやっかいだ。私はライターの仕事を始めて以来、営業らしい営業をしたことがない。新人の頃は作品ファイルを持って編集者を訪問したこともあるが、いつからか、過去に仕事をしたことのある媒体を書いたペラ1枚の職歴書しか持って行かなくなった。
なぜかといえば、文章を書く仕事の特殊性がある。カメラマンやイラストレーターは作品を見せれば、どういうものが得意なのか、どんな作風なのか、一目でわかる。ところが、取材原稿はそうはいかない。
まず誌面に掲載された記事は、校正者の指摘を反映しつつ、ときに編集者の手も入りながら、読みやすいように整えられている。そのため、その記事がストレートにライター自身の技量とは判断できない。また、取材内容がどのように消化され、原稿に反映されたかのプロセスを完成された記事から読み取るのは難しい。さらには、忙しい編集者は売り込みにきたライターの原稿まで読んでいる暇がない。
となると、頼るは人脈ということになる。仕事をした編集者が、ライターを必要としている知り合いの編集者に紹介してくれる、というパターンだ。そして、職歴書に仕事をしたことのある媒体の名前を書いておけば、どういう方向性の原稿が書けるのか、編集者は予想がつくし、媒体のジャンルが幅広ければ、「それなりの完成度の原稿は上げてくれるのだな」という信頼も得られる。雑誌が元気だった頃、ライターの仕事は、そんなふうに人のつながりで広がるものだった。
しかし、世はWebメディアの時代である。SNSやnoteのようなネットサービスで自分をアピールしなければ、埋もれてしまう。私もやらなければなぁ、とは思うのだが、一見さんと仕事をする難しさが身に染みているだけに、「まぁ、いいか」となってしまうのだ。最初のハードルを越えれば、もしかすると、一見さんが末永くつきあえるクライアントになるかもしれない、と思いつつも。
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