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“女性”ライターの生き残り戦略を考える

いくつかのタイプがあるライターの仕事

 フェミ論争やジェンダー論争が熱くなっていて、70年代のウーマンリブ運動の末期のさらにシッポのほうをちらっとかすった年代としては、「うーん、なんか既視感」と思っている。らせん状に向上しているとは思うのだけど、相互理解を目指す活動は、先日、惜しまれながら亡くなった米最高裁のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が、「男性だけの判事を相手に、性差別をまるで『幼稚園の先生』のように説明しなければならなかった」と語ったように、なかなかスカッとは解決せず、時間がかかるものだ。

 社会差別を誰もが共有する問題として可視化し、解決に向かうにはどう議論していくべきか、という世情のときに、こんな話をするのも時代に逆行しているが、性差の間には超えられない壁もある。物体としての作りが違うわけだから、性や他人との違いも考えながら、自分なりの戦略を練ったほうがフリーランスとしては、生き残る確率が高いんじゃないかとも思う。

 なかでも気になるのが、女性ライターの身の振り方だ。便宜上、「女性」と書くけれど、女性に限った話ではない。以下、「自分もそういうタイプかも」という人に向けての考えるヒントだと思って欲しい。その意味を決めてタイトルの女性に“”をつけてみた。

 基本的に取材や執筆の「技術」に男女差はないので、どんな原稿でも性差に関係なく書けるとは思っている。ここから書く話は、「長く仕事をする」作戦としての考え方だ。また、私の経験が元になっているので、合う合わないもあるだろうし、自分に合わせて取捨選択してね、の前提で進めていく。

 私は長らく紙媒体で仕事をしてきたので、Webメディアのほうが隆盛を極める今どきのライター事情に疎い。が、ちらほら目にするライター講座なるものやWebメディアの記事を眺めていると、「コレでいいのかね?」と思うことがある。「他にも道はあるんじゃね?」と感じるのだ。

 ライターが求められる仕事には、いくつかのタイプがある。今、もっとも求められるのは、WebメディアでPVが取れる記事だろう。ネタは時事でも生活実用でも構わない。キャッチーなタイトルと内容で、とにかく人目をひく記事だ。紙媒体でいえば、週刊誌やスポーツ紙に向いている書き方になる。ライター講座で教えられることが多いのは、この手の記事なのではないだろうか。

「名前を売る」ことが最優先だったり、報道に近いテーマがライフワークだったり、専門性を持つ執筆者として注目されるか否かが仕事の依頼に影響する場合は、露出を増やすために書くのはアリだとは思う。また、どんな原稿でも、お金をいただくプロとして書くのだから、読んでもらわなければ意味はない。目立たせることは大切だ。しかし、Webメディアが隆盛になって以来、PV狙いの記事がライターの主流の仕事のようになっているのは、どうなのかなぁとも思う。

 瞬間的にキャッチーな記事は消費期限が短い。紙の週刊誌であれば、次号が出るまで、まだ1週間の猶予があったし、編集者の目に止まり、いずれ長編のノンフィクションに化ける可能性もあった。名前や内容を売る余裕があったのだ。しかし、Webメディアの消費期限は半日から1日ほど。Webメディアが増えるに従って、その期間はどんどん短くなっている。読み捨てされてしまうので、読者やメディア関係者の記憶に名前を残そうとするのは、紙媒体だけだった時代よりハードルが高い。さらに、Webでは、文章はつたなくても、企画や宣伝のセンスのある一般の人のほうが、よほど人気を集めることがある。Webメディア全盛の今、ノンフィクションの世界で「名前を売る」のは、相当に難しいのではないだろうか。

 また、Webメディアのスピードに合わせて量産できるのは、20代から30代前半までだろう。30代後半以降になると、体力的にも経験値としても、書き続けるのがつらくなってくると思う。

職人ライターの仕事はありとあらゆるところが取材先

 では、どうしたらいいのか。生き延びる策の一つに、職人ライターとしての技術を磨く手がある。書き手の名前は、ほぼどうでもよく、プロの取材力と執筆力が求められる仕事だ。

 職人ライターの仕事は、ありとあらゆるところが取材先になる。そして、その経験値は仕事の幅を広げてくれる。たとえば、発注された記事のテーマは婦人科でも、過去に取材などで得た皮膚科や胃腸科などの知識を重ねることで、症状や対処法において、より読者に役立つ情報を深掘りすることが可能になる。もちろん、裏付けとして医師などの専門家に確認を取る必要はある。ときには取材者が原稿の確認をきっかけに、話し忘れたことを思い出し、情報をさらに広げたり、深める情報を教えてくれることもある。ライターには取材と原稿を通じて、情報のハブになるという役目もあるのだ。

 前述のキャッチーな記事がベテランになるとつらくなってくるというのは、この情報の集積も影響してくる。物事にはスパッと切り取れる事象はそう多くない。取材に行くと情報の提供に真摯な人ほど、断定は避けたり、見方の幅を広げるために別の角度からの情報も教えてくれたりする。そうした割り切りにくい情報をキャッチーな原稿に加工するのは悩むものだ。それもタイトルだけ、あるいは2〜3行のリードで読むか読まないかが瞬間的に決まる原稿で表現しようとするのは、「いや、そうとも言い切れないんだけどなぁ」と考え込んでしまう。本当に役に立つ情報というのは、じつはとても地味なものなのだ。

 私のまわりにはベテランライターが多い。自分の名前で本を書くこともあるが、生活の糧の多くを職人ライターの仕事で得ている人たちだ。そして、職人ライターには、なぜか女性が多い。女性のほうがマルチタスクの仕事に強いのかもしれない。そうした現状を考えると、今、若手の人たちも先々を考え、職人ライターの技術も磨いては?と思うのだ。

 ただし、悩ましいのが、職人ライターの仕事を覚える場が少なくなってきていることだ。理由は、紙媒体が減っているから。Webメディアは、テーマや構成が定型化しているので、どうしても原稿の幅が狭くなる。一方、生活に関わるあらゆる情報がテーマになる紙媒体は、取り扱う内容がWebメディアより広い。また、媒体によって読者層が違うこと、編集者や校閲者など関わる人が多く、複数の目をクリアしなければ原稿が通らないこと、エディトリアルデザインに合わせるという文字数の制限によって情報を凝縮させる必要があることなどが、構成や文章力を鍛えることに役立つ。

 私のようなライターが今も仕事があるのは、雑誌や書籍の執筆を通して、どんな原稿でも打ち返せる経験と技術を蓄えることができたからだ。その経験と技術を次の世代にもつなげていくことは、メディアの質を落とさないためにも必要だと思う……のだが、後継者に乏しい伝統工芸の域になりつつあるよなぁと、遠くの空を眺めてしまう。案外、これも誰も言わないのだよなぁ、言ってもピンとこない人が多いんだよなぁと、ぶちぶち思ってたりするのである。

 そんな状況でもどうやって鍛えるか、については、また後日。誰の役に立つ話なのかも謎だけれど。 

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。