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センター委員

2010年代半ば、今はなきとある試験の委員を数年間担当しました(官報開示済)。平均して2ヶ月に10日くらい、私が中高大計9年通った街の建物に缶詰となりました。もちろん、情報漏洩を厳格に阻止するためです。色々な方々と知り合うことができ、また多くの知識を得ることができましたが、今思うと体力的によくやったと省みます。おそらくその頃からだんだん体内時計や自律神経がくるってきたように思うわけです。

この委員をしつつ、オランダに数ヶ月在外研究で滞在し、かつオランダ滞在中に一瞬東京に戻って当該任務を遂行したこともありました。和歌山から東京、その後バンコク、マニラはしごとか、普通の日常でした。当時は楽しい面もあったかなぁ。このための現地調査でとある地域を数人でまわったり、懐かしい思い出です。娘の名前も出ています。

その試験も、政治的な引力もあってか、なくなってしまいました。あれだけ綿密に良問を作っていた多くの仲間を思うと、なんともやり切れない気持ちです。

最近、本当に少しずつ回復してきています。が、まだ落ちる時は落ちて、委員の頃を思うこともあります。落ちている時は、もうあの頃には戻れない、もう頭があんなに切れることはない、という流れ。良い時は、純粋に楽しく思えなくもありません。ではこの辺で。次回あたり、一番の素因に触れようかな、と。

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