もう一度夢を見せられた~「トップガンーマーヴェリックー」感想

 「トップガンーマーヴェリックー」を見ました。
 主人公は引き続き、前作「トップガン」で破天荒ながらも有能な若きパイロットだったピート・ミッチェル(コールサイン マーヴェリック)。彼は出世を頑として断り、作戦に従事し続けて数々の華々しい戦果を上げたものの、相変わらずの一匹狼っぷりで上層部からは疎まれていた。そんなある日、彼に呼び出しがかかる。首になりたくなければかつて彼が所属していた「トップガン」に教官として戻れ……というのだ。彼はそこで精鋭の若手パイロットたちを相手に、三週間後の危険な作戦に向けて、超短期間の猛特訓をすることとなる……というあらすじ。

 色々あるのですがまとめると「もう一度夢を見させられた」という一点に尽きた。ストーリーは王道中の王道で、年を取っているし、AIにとってかわられる時代のパイロット、時代遅れの戦闘機、という、あらゆる意味で「時代遅れ」な主人公が「それは今日ではない」ことを証明する物語だ。
またミッションへの挑戦だけではなく、亡くなった親友の息子との対立・和解・共闘するというストーリーや愛を再び取り戻す過程で、過去は戻せないものの、セカンドチャンスを強く感じさせるストーリーだった。 

ただ「もう一度夢を見させられた」とは言っても今回のトップガンはよくある昔を懐かしむ中高年の夢だけでは終わっていない。リアルな時代の現実の変化(実際に海軍には女性が大幅に増加し、パイロットの女性も少数だが存在する)に合わせて、恋愛要員としてではなくチームの一員として女性も黒人も当たり前に存在するし、ちょっとオタクっぽいWSOだって当たり前にエリートの一員としてそこにただ存在する。主人公同様に年を取った女性もヒロインとして出てくるし、戦闘機を駆ければ無敵の主人公といえども、いつまでも若者ではいられない問題に直面することになる。

そうした時代の流れも受け入れた構成でありながら、もう一度スクリーンと物語の中央に華々しく立ち戻り、「それは今日ではない」ことを見事なまでに証明するマーヴェリックの姿は、どこまでも王道でありながらもセカンドチャンスが存在することを見せてくれる。

メタ的に言えばコロナ時代・配信全盛時代の劇場上演映画製作、CG全盛時代のリアルを追求した撮影という往年の映画スター、トム・クルーズの挑戦でもあったと言える今作。「俳優はいらなくなる」「リアルな撮影はCGでいらなくなる」「劇場はいらなくなる」そんな声にも同時にNoを突きつけ、ヒットによってそれを吹き飛ばす映画でもあったと言えよう。

個人的には最近安穏とした生活に落ち着いていた自分に「またやり直せる」と囁いてくれるような、爽快にして楽しい映画だった。

 批判される可能性のある点がもしあるとすれば、この映画は良い意味でも悪い意味でも「王道」のストーリーとマーヴェリックというパイロット個人にフォーカスしており、2022年らしいアップデートを取り入れながらも、複雑な政治的問題や社会問題を巧みに避けている部分だろう。これが意図的なものであることは戦争映画ではなくスポーツ映画を撮りたかったという発言や、非人間化された敵のパイロットや具体化されない敵国といった側面にも表れている。マッチョな価値観を持っていて、女性パイロットであるフェニックスのことをニヤニヤからかうハングマンに誰も同調しないのもやさしすぎる世界かもしれない。2022年の世界で、ある意味困難なミッションにバラバラなチームメンバーが立ち向かう王道のストーリーとマーヴェリックという破天荒なパイロットの個人的側面の掘り下げにフォーカスを当てたかったために、あえてそういった要素を外している。だから観客が自分の価値観や世界に挑戦を突きつけられるような、そんな息を飲むようなシーンは確かにTGMにはあまりない。むしろこの映画は2022らしさもありながら観客がそういったノイズをできるだけ感じずに楽しむことができるようエンターテイメントに特化している。

 軍隊ものや兵器が出てくる話を楽しむ上で、現実の兵器と創作の共犯関係について、ジレンマを経験するのは誰しも通るところだ。創作の中の兵器が現実の兵器と同一である以上、創作者が望もうと望まざると、創作がプロバガンダ的な役割を果たしてしまうのではないかという悩みに大人は取りつかれる。(いや、むしろ取りつかれるべきかもしれない。なぜなら大人は兵器で人間が何ができるかを知っているからだ。兵器そのものには罪はなくとも、それを使って人間がどのような罪を犯すか大人は知っているからだ。成長してしまったからには、その罪と我々は無縁ではいられない)そういった葛藤や、生まれを理由に能力を見くびられ夢見た場所に行けない人の問題について観客が苦しまなくてもいいよう、やさしくオミットしているのがTGMで、その試みは成功しているとも言える。(問題を観客に意識させないよう気を使っているだけで、マッチョな男性社会にはもしかしたら適応できないかもしれないボブや女性のフェニックスがチームにいることで2022らしいインクルーシブさをさりげなく示している)

TGMは文句なく素晴らしい作品で、私を含め、多くの人にもう一度夢を見させてくれた。その一方でこの作品があえて描いていない部分については宿題が自分たちには残されている。そんな気がしてならない。




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