あまり大きな声で言えない大学受験事情を三つほど殴り書き

※酔っ払った勢いで書いた文章です。斜め読みしてください。

 普段はなるべく自重しているけれど、今夜は酔っ払っているので、極端なことを書いてみる。あくまで、「透明人間マーロウ」という個人に成立した特称命題として読むべし!(と断っておきますが、けっこう普遍性があるとも思っています。)

模擬試験の成績は、学校内のテストの成績より1万倍くらい大事。

 一般入試で勝負したい人にとって、学校の内部テストの成績には何の価値もありません。僕はブッチギリの最下位だった(東大現役合格者の中で)けれど、試験本番の開示点数は最上位でした。(というか、校内テストの一位と二位が揃って不合格だった笑。これでも、けっこう名のある進学校の話である)
 校内のテストはボロボロ。全く対策をしなかったし、試験中にも大喜利をやった。
Q「ミドリムシの図を描け」
A「・(原寸大)」
 
 それでも東大模試ではA判定を取り続けた。

 申し訳ないけれど、学校内のテストは、あまり勉強のできない学校の先生(本当にごめん!)が忙しい中、片手間で作成したチェックリストみたいなもの。トップクラスの頭脳を持つ大学の教授たちが寄り集まって、ミスの許されない緊張感の中、長い時間をかけて練る入試問題とは似ても似つかない。(月とすっぽんぽんくらい違う)
 大手予備校の模擬試験は、その二者の中間。高学歴の講師たちが集まって、資本主義の競争原理の中、長年に渡って蓄積したノウハウや膨大なデータをもとに作る。学校のテストと比べて、割かれているリソースは桁違い。(月とすっぽん)

英数国を極めれば、大抵どこの大学にも受かります。

 東大は550点満点で、僕の受験した理科二類の合格最低点は220点くらい。(年によるけれど、まぁ、だいたいこんなもん)
 僕は英・数・国の合計点だけで210点くらいあったから、理科と社会はほぼ0点でも受かっていた。

これは何も珍しい現象ではありません。

 理科と社会は、地頭では現役生に劣る浪人生が、なんとか逆転合格をするためのボーナスステージみたいなものです。ここまではっきりと書く人はあまりいないと思うけれど、同じような実感を持っている人は多いんじゃないかと思う。もし、地頭に自信があるなら、英数国で勝負すれば良いと思う。理科と社会は後回しがおすすめ。

一般入試で勝負したほうが楽しいと思う。

 アルビン・トフラー『第三の波』によれば、学校の目的は「勉強を教えること」だけではない。

 そこには裏の目的がある。

 それは、

  1. 時間を厳守し、

  2. 命令に服従し、

  3. 反復作業を黙々とこなす

人間を作ることである。

 これは、第一の波(農業革命)に次いで起こった第二の波(産業革命)において必要になった工場労働者を、大量生産するための仕組み。源流はイギリスのワークハウス。

 これまではそういう人間が必要だった。この”安心・安全・快適・便利・清潔な社会”を維持していくためには、何の疑問も抱かずに、ただ与えられた命令に従う反復作業マシンが大量に必要とされた。

 でも、トフラーによれば今はもう第三の波(情報革命)の時代。さて、そんな中、反復作業マシンとして最適化されてしまった人たちの運命やいかに???(ちなみに、僕もその一人なのかなぁ^^;)

 鋭い人はもう気づいているかもしれないけれど、オモテの目的(学問を修める)にかなうことが一般入試で良い点をとることに対応するならば、ウラの目的(良き反復作業マシンになる)にかなうことが高い内申点を得ることに対応する。(と、僕は思っているけれど、、、そう思っているのは僕だけではないと思う。)

 もっとイヤな書き方をすると、

「内申点≒隷属度スコア」

 第三の波とやらに至っている現在は、第二の波に最適化された人材を育成するための学校に合わせても(内申点を稼いでも)いささか時代遅れ。それが自然にできる人は堂々とやれば良いと思う。現在だって、狩りをする人もいれば、農業をやっている人もいる。第三の波以降にも、少なからず反復作業マシンっぽい人は必要になることだろう。でも、無理してまで合わせる必要は、もう無くなってしまった。(と、僕は考える。)

 そのことに全く無自覚で、「学校からドロップアウトすること」≒「人生からドロップアウトすること」だと本気で信じている先生は、、、いや、もうこの先は書かんどこう笑


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