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『想い出の君へ』第一章

 ︎︎目を覚ますと春の中だった。
「花びらが舞う中に居ると、不思議な世界に迷い込んだかのように感じるね」
 ︎︎頭上では桜が満開に咲き誇り、その端々から薄桃色の花片が散り始めていた。遠い空から届いた暖かな風が、花片を木の下の小さな空へと舞い散らせる。それは祝福の紙吹雪のようだ。
「ほんとにね、不思議な感じ」
 ︎︎ふふとはにかんだ顔に、花びらが触れる。
「今日が素敵な日で良かった」
 ︎︎アスファルトの上には幾つもの花片がふわふわと風に乗り、二人のゆっくりとした歩みをよそに先へ先へと走り去っていく。
「そんなこと言ってもまだ午前中だよ?」
「そうだけど、今のうちに今日が素敵な日だと決めれば心はその気になっちゃうんだよ」
 ︎︎太陽の光に当てられた、世界は眩しい。
「ふふ、じゃあ今日はふわふわだね」
「ん? ︎︎どういうこと?」
「ははは、なんでもないよ」
「うーん、気になるけど、まあいいか」
 ︎︎春風と太陽の光と絡み合う髪。その一本一本すらも愛おしく感じるほどに……全てが美しく見えるのは君が傍に居るからだと、確信する。
 ︎︎傍に居る。けれど手は触れ合わない。そんな二人の間柄を人々は何と言うのだろうか。そんなことは、二人にとってはどうでもいいことだ。二人はお互いに信じきっていると、そう捉えても間違いではない。世界が美しく見えるのなら、そこに疑いは無いはずだ。

 ︎︎写真を撮るのは趣味ではないけれど、今日のような些細で何気ない、それでいて美しくて素敵と思えるような瞬間を額縁に入れて思い出のひとつにできるならと……桜の木の真下から見上げるように、青空を背にして、一枚。薄桃と青にほのかに光の線が差す絵となった。そこに人影は写らない。故に一緒に写ることも無い。そんな二人の間柄を人々は変と思うのだろうか。
 ︎︎二人だけの世界とは、個人という世界が二つ混ざり合った世界のこと。その二人の関係には名前を付ける事が出来ない。否、付けてはならない。付けてしまうとあらゆる可能性が無くなってしまうから。強いて言うなら“仲が良い”。ただそれだけの事。二人の世界はいつまでも続く。“それら”を記憶する限り。

 ︎︎二人が菜の花の束に顔をうずめると黄色の花粉がちらほらと付いた。それを互いに見せ合い笑い合うと、正午の鐘が鳴り響いた。
「お昼どうする?」
 ︎︎常套句を言い掛けると、即座に返答が来る。
「コンビニの梅おにぎりが食べたいな」
「それだけでいいの?」
「花粉食べたからあんまりお腹減ってないや」
「また、おかしなこと言ってる……ふふ」
 ︎︎それが好き。
 ︎︎たわいもない会話をしながらコンビニへ向かう。二人の世界には暖かな風が吹き抜けていた。
 ︎︎

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