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「バニラアイス」(小道具掌編集)

 気楽な居酒屋に、同じ大学出身での集まりだった。料理が一通りふるまわれ、酒もあらかた回り、最初の席順もめいめい好きにばらける頃合い。
 いったんトイレに立った誠司が戻り、座って一人ぬるいビールを舐めていると。
「誠司くん、相変わらずお酒弱いのねえ」
 すぐ隣に自然な仕草で移動してきた女性は、控えめな化粧でも華やかさの伝わる顔立ちに笑みを浮かべて誠司に声をかけた。ビール二杯目で顔を赤らめていた誠司は、だねえ、とぽやぽやした返事をする。
「馨は何飲んでるの」
「レモンサワー」
 そこへ店員がやってきて、小さな皿をそれぞれのテーブルに人数分置いていく。
「デザートきた。誠司くんバニラ食べる?」
「バニラ? 食べる……」
 はい、と馨が手ずからバニラアイスの皿とスプーンを誠司に渡す。ありがとう、と受け取った誠司は、ややのったりとした手つきでスプーンを握り直した。
「どう、彼女との同棲生活は。めくるめいてる?」
「めくるめいてるねぇえ」
 即答した誠司に、馨が苦笑する。
「彼女、幼なじみなんだっけ」
「そう」
「最初は子供同士で出会ったわけじゃない? どこから切り替わるの、恋愛対象として」
「……うーん」
 バニラアイスをすくったスプーンをくわえた誠司が、考え込むように宙を睨んでやや唸る。二口分ばかり残ったアイスをちらり見下ろして。
「向こうは、高校出てすぐ働き出したんだけどさ。こっちは大学行ってて。二年の時に、……小中とも同じ学区内だから実家同士が近いんだよね。僕の家の近くで、偶然会ったんだ」
「うんうん、それで?」
「もうスーツ着てさ。化粧してて。おまけに、香水を使ってたんだよなあ」
 久しぶり、と言葉を交わした拍子。
 もう着られてるという風情でもなくスーツを着こなして、薄化粧をものにして。
 鼻先に、バニラの香りが甘く香ったのを覚えてる。
「こっちは二十歳になって少しは大人になったような気がしてたけど、相手はもう立派に社会人してるからさ。ちょっと、置いてかれたような気がしたなあ」
 それが、決定的なきっかけ? そう首を傾げて笑い、バニラアイスを最後の一口まで含んだ誠司に、ふうん、と感心したように馨が相づちを打つ。
「そうですか、香水でしたか、誠司くんを陥落させたのは」
「うん、いい匂いなんだ。初めてラストノートまでわかった時、ちょっと感動した」
「え?」
「長い付き合いだから結構知ってるつもりでいたけど、……一緒に生活しないとわからなかったことが、たくさんある」
 ふふ、と誠司は一人笑みを漏らす。
「彩香は冬になると、ちょっとふっくらするんだ」
 お腹に手を当てるとね。さらりとした口調に、咄嗟なことですぐに反応できず馨は瞬く。
「手のひらを、肌があたたかく押し返してくる。……ああ冬だな、って思う」
 肌の上の残り香も。季節を経た末に、わずかに変わる身体も。春夏秋冬を一緒に過ごして、やっとわかったんだ、と。
 馨は、誠司の恋人が肌をあらわにされてお腹に男の手のひらを当てられているところを想像した。いずれ掻き消えるラストノートもかぎ分ける親密な距離で。それは艶っぽい、れっきとしたのろけ話だった。馨はまんまとあてられて、はっはと天井を仰いで笑った。

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