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自分の頭で考える読書(荒木博行)を読んで

Voicyでも大人気の荒木博行さんが書かれた「自分の頭で考える読書」を読みました。読書との向き合い方について気づきを与えてくれた1冊です。

自分の頭で考える読書の楽しみ

タイトルにある「自分の頭で考える」とは、自分の中で「問い」を持ち、そして読書を通じて自分なりの「答え」に辿り着くことであり、その答えの発見=気づきこそが読書の楽しみの1つであるのかなと思いました。

特に学校で答えを叩き込まれる教育(与えられる学習)を経験していた私は、どこか「自分で考える」というプロセスを飛ばして、読書に「すぐわかる答え」を求めていたのかもしれません。

「問い」と「答え」を意識する

本には著者の掲げた「問い」とその「答え」が含まれています。この「問い」が自分にとって新しいのか、それもと元々疑問に思っていたことなのか。また「答え」についても同様。本書では以下の通り3つのカテゴリーに分けており、このマトリクスを意識することで自分ならではの読書ポートフォリオが築けることを教えてくれました。

こう見ると私は「②答えの発見」の本を求めては途中で読書を断念し、③既知の再認識のカテゴリーに逃げていたなと気付かされました。

問いに対する3つの本の選び方

抽象化と具体化をして応用する

私は本を読んでも自分の中に落とし込めないことが多いのですが、それはおそらく本書が示している「抽象化」と「具体化」ができていないから。

例えばバレーボール選手が野球に関する本を読んだとしても意味がないと思われがちですが、バレーボールを抽象化すると「球技」・「チーム競技」など野球との共有点が見つかる。そこから得た気づきを改めてバレーボール競技に具体化することで応用ができるわけです。

このように一見、自分の関心分野と離れていたとしても「抽象化」と「具体化」をすることで今まで以上に自分の気づきを得ることができるのですね。

読書という余白の楽しさと脆さ

読書の特徴としてはYoutubeやテレビなどと違って自分で考える余裕(=余白)があることです。Youtubeなどの視覚・聴覚を刺激し、大量の情報が与えられるコンテンツだと、どうしても疑問を持ったり自分なりに考える余裕が奪われます。

自分で疑問を持ち、自分なりの答えに辿り着く…先にも述べた通りこれこそが読書ならではの楽しみ方なのだと思いました。

一方で余白があるということは、SNSなどの読書の阻害要因が簡単に余白を埋めてしまうということです。刺激が多い現代だからこそ、集中して読書をするためには予め阻害要因を排除する必要があるいうことを再認識しました(いわゆる既知の再認識)。

読む本の冊数を意識する無意味さ

よく月に○○冊を読むことを目標にしたり、読んだ本の冊数を自慢する人がいる。でも軽い本であれば余裕で読める一方、哲学書やらそれこそ「問いの発見」に分類される本であれば読むもの時間がかかりますよね。

本書を通じて本を読む冊数を意識することはあまり意味がないことを気づかせてもらい、読書に対する肩の力が少し軽くなりました。

アウトプットする習慣を

荒木さんはご自身が読まれた本をVoicyで発信されています。Voicyだけでなくブログや他の人に話すなど、何らかの形でアウトプットすることが読んだ本を自分のものにするステップなのだと感じました。私の場合はnoteですね。

また読了できなかった本についても、少なくともその本が何について書かれていたのかを記すことが大切だと記載されおりました。早速、取り組んで見たのですが通読できなかった罪悪感から解放されました 笑

読書を楽しもう!

肩の力を抜き、本を読むときはスマホを消して本に集中。問いと答えを意識し、自分なりの本棚(本のポートフォリオ)を作っていくのが楽しくなってきた1冊です。


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