友に話したいこと、どんなこと
ああ、地が裂かれる。その深淵の中に足を取られ、救いえない状況が語られているのを読み、目を閉じてその情景を思い浮かべました。勇者、兵士、力を競い合い、自慢し、猛々しい人々が、次々に落ちていくのです。あっぱれ?いえ、勇者にされ、兵士にされ、最前線で戦わされている人々はどんな人たちだったのだろうかと想像すると恐ろしい世界が描かれていると思うのです。ああ怖い。怖がらせたくて、恐怖で煽りたくてアモスはこんなことを言うのでしょうか。そうじゃないといいなと思います。
アモスの心の中には責任を持っている人たちが弱いものから吸い取ってこうやって命までも鷲掴みにして捨てていることが我慢ならなかったのかなとおもおいます。だとしたら、私は何ができるだろうか?自分はどちらかといえば、「先生」なんて呼ばれたり、「立派」な立場に立たされることもあるけれど、その中身はボロボロ。本当はそんなところに立っている身じゃないのですともう一度自分に「そうだよね」と言うと肩の力がスッと抜けます。時々、この先が不安になって自分を過剰に強くて、大丈夫に見せてしまうけれど、本当は使い慣れていない弓を渡されて、戦わされているだけなのです、と。本性を知ってもらいたいのです、そんな祈りの言葉が出てきました。誰に知ってもらいたいのかな?「そうかあ、そうだったんだ」と新しいこととしてこの言葉に向き合ってくれそうな友かなと思っています。イエスもそんなふうに思っていたのでしょうか。友と呼ぶ。
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