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思い出したら、たわ言が福音になる話

ガリラヤで人びとをいやし、教え、共に食事をしたイエスは、当時の指導者たちからの敵意と憎悪のターゲットにされました。スケーブゴートという言葉があります。身代わりにされることです。現代日本の「圧迫社会」で、スケープゴートにされ、いたぶられ、侮辱を受ける人、その反面誰かを押しつぶして、スッキリしている人びとがいます。これもスケープゴートです。親が子どもに、夫が妻に、先輩が後輩に、教師が生徒に…、社会的に上位に立つことができる者が、関係上の弱者を身代わりにして、自らは安全圏に座し、快い環境に身を置くことが生じています。しかし、身代わりにされる方はたまったものではありません。
イエスをスケープゴートとすることで、脅威を感じている指導者たちは自らをなだめることができたかもしれません。また、自分たちの不安定な立場の焦燥をイエスに被せ、ケリをつけられたかもしれません。こうして複雑に入り組んだ人間の感情、社会制度の軋み故にイエスは死刑にされました。その感情や軋みの中に自分もいるということを指して、罪、というのです。罪による十字架、それは不義です。

イースターはイエスの復活を記念するキリスト教での祝いの日です。
毎年、日にちが変わる移動祝日です。2023年は、4月9日がイースター。この記事は、2023年のイースターに私が言っているキリスト教、プロテスタント教会から出る発行物の巻頭言に記したものです。

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