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苦難の夜と朝の優しい光〜ヨハネ11章

勤勉だ!!私は、自分が普段お話しする教会ではない場所で話すと言うのに、聖書日課通りに書き下ろしましたぞ〜。前やった話をするのは誰だ!とまあそれはともかくとして。でもとってもワクワクする箇所だったので、この聖書の言葉を読めてよかったなあって思います。
(2月18日(日)の礼拝メッセージに手を入れています)聖書箇所はヨハネ11章です。

17 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。
18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。
19 マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。
20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。
21 マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
22 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」
23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。
25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
27 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
- イエス、涙を流す

ヨハネ11:17〜27

私は復活であり、命であるというイエスの言葉はどんなトーン、口調で語られたと皆さんは想像されるでしょうか。

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