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初恋、友情、青春の思い出よ。

 ぬるい風が吹いている、そんな初夏。快晴。
 支倉は窓の外へ視線を向け、暑そうだな、とトラックを走る少女を見ていた。彼女は花村。小さい体を精一杯動かして、意外と早く走る。黒髪を丸く結っている紫のリボンが風に靡いた。ゴールした後の、力の抜けた笑顔がかわいらしかった。
 支倉は、花村に密かに恋をしている。
 ふとグラウンド全体を見渡すと、花村から少し離れたところに、同じように彼女を見つめる男がいるのに気づく。あまりにじっと見すぎたか、男も支倉に気付き、目が合った。
 まるで雷が落ちたかのような衝撃が支倉を襲う。
 いたたまれなくなり、視線を黒板に戻した支倉。戻したはいいが、授業にはさっぱり集中できなかった。
 だって、あいつの目は———僕に、そっくりだったじゃないか!!

 視線の先に映った隠しきれない恋情は、一瞬で宿敵と気付くのに十分な証拠だった。

  ■■■

  この高校には、2人の人気者がいる。
 一人は成績優秀な秀才、支倉。白皙の肌に黒い髪が良く映える中性的な美人であり、そのにこやかで紳士的な態度から一部からは王子と呼ばれるほど。もう一人の南野はスポーツ万能な爽やかムードメーカー。気安い人種で、困っている人を放って置けないお人好しでもある。面の良さと人気者であるという共通点はあるものの、出身校もクラスも違う二人に今まで接点はない。精々、廊下ですれ違う程度である。
 そんな二人が、放課後の教室に密やかに集った。集まろう、とどちらが声をかけたわけではなかったが、視線が交わったあの瞬間、お互いにそうしなければならないと思ったのだ。

「お前、体育のとき、見てたろ……。」
「……君も、見てたよね。」
「だってさ、……かわいい、よな、花村サン、」
「一番かわいい……。」
「に、しても、見すぎだって。」
「君だって。周りにばれてるんじゃないの?」

 ぽつり、ぽつり、と話し始める。何を話していいかすらわからなかったが、予想外の事態ついて、事実確認をしないことには夜も眠れない心地だったのだ。
 花村は穏やかな笑顔やちょこまかと動き回る様子が大変魅力的だが、実はクラスではそれほど目立たない女子である。彼女の魅力に気づいているのは自分だけという自負が二人にはあったのだ。しかし、こんなにも近くに宿敵が現れるなんて。

「よりにもよって、お前ってぇ。」
「君も、見る目ありすぎ。」
「今それ嬉しくないが。」
「いいよね、君は彼女とおんなじクラスでさ。まァ、僕は毎朝バスで話すけども。」
「何なら、今オレ隣の席だけどね。」

 普段の彼らは比較的穏やかな気質であり、会話中にマウントをとるなど、そんなはしたないことはしない。しかし緊急事態である今、どうにかして心に安寧をもたらしたかった。

「……いい匂い、するよな。」
「ああ……、何か花の匂い、してるよね。」

 近くにいるとふわりと香るライラック。彼女のいたところは、まるで白や紫の花の見えるほどに良い香りが残る。あどけない彼女にしては少し大人っぽい香りだが、そのギャップにもまた魅力を感じる二人であった。
 そこからまたぽつぽつと、花村の魅力について話し出す。そして二人は気付いてしまった。“推し”について語ること、共感を得ることの喜びに……。

「だからって、別に協力するとか、チャンスを譲るとか、そんなことしないから。」
「分かってる。正々堂々な。」

 かくして、放課後の集いが始まったのである。
 翌日、にわかに始まった二人の交流に周囲は一瞬ざわついたが、「眼福……。」と静かに見守る流れに落ち着いた。
 
  ■■■
 
 だいぶ涼しくなった秋の日、放課後。クラスメイトがそそくさと下校する中、二人はいつも通り教室に残り、混雑をやり過ごしていた。人気者なだけに、一緒に下校しようなどと声がかかるも、今日は支倉に【日誌】という断り文句があるため、穏便にお断りしていた。とはいえ、日誌はすでに書き終えてある。南野はというと、最近は支倉とセット扱いであり、支倉が断った時点で誘いを免れていた。それに、南野はこれから部活もある。

「道のりは、長い。長すぎる……。」
「なんたって鈍いんだからね。彼女は。」

 今日は、『デートをなぜか文化祭模擬店の下見と勘違いした花村』について会話が盛り上がっている。なんでも、南野がケーキの美味しいカフェに誘ったら「それなら、委員長とゆきちゃん(模擬店リーダー)の予定聞いとくね!」とにこにこ顔で言われたらしい。文化祭準備中であることが大いに差し障っている。

「オレら軽食屋じゃん、ケーキ出さないじゃん……。」

 南野は先程からこんな感じで萎れている。
 窓の外を見ると、下校する生徒から少し離れたところに、誰かを待っているような花村の姿が見えた。

「噂をすれば。」

 噂も何も、二人が集まってする話の9割は彼女のことなのだが。

「花村サン! こっち! 上!」

 南野が躊躇なく声をかけるのを見て、支倉は少しだけ妬ましい気持ちになった。南野は誰にでも自分から声を掛けるし、困っていれば手を差し伸べる。まさにヒーローのような男だ。僕には、大きな声で呼び止める勇気はない。彼のように、花村をどこかに誘うことだって、まだできそうにない。
 
 何日か前、校舎内ではあったが花村と南野が隣り合って歩くのを見た。南野が何かを言って、彼女が笑う。支倉は、その顔を見ただけでもう、それでいいんじゃないかという気持ちになった。隣に誰が立っていようと、自分じゃなかろうと、花村が幸せそうであれば、それで。

(……いや普通に、恋人同士になりたいけど?! 全然よくない! 彼女をもっと幸せにするのは、やっぱり僕がいい。)

 急に呼ばれた花村は、声の主を探してきょろきょろと視線をさまよわせる。そして、二人の姿を見つけてはくしゃりと笑い、手を振ってくれる。そんな姿もかわいらしかった。もう、どんな花村でも、いいや……。

「南野くん! 支倉くんも、まだ帰んないの?」
「僕もうちょっと残るんだ。」
「そっか、じゃあ、」
「紫乃。」

 帰りの挨拶を言いかけた花村に、別の男が声を掛けた。

「紫乃、行くよ。」
「わかった。二人とも、じゃあね。また明日!」

 昇降口辺りから出てきた男女。男のほうは支倉たちを一瞥してから花村に笑いかけると、くるりと彼女の両肩を押して門の方へ方向転換させた。その手口のスマートなこと。彼女に触れるなど、二人にはまだまだできないことである。

「おー……。」
「また、明日……。」

 二人はろくに挨拶もできず仕舞いだ。それに。

「……あれ、五嶋先輩……?」

彼女を連れて行ってしまった五嶋ともう一人の女子は一つ上の先輩で、噂によると花村の幼馴染らしい。彼らの近しい距離に嫉妬はするが、所詮は幼馴染。

「見た、あの顔。」
「すげえ、牽制? されてたよね?」
「やっぱりそう?」
「下の名前で呼んでたし。」

 少し前、本人から「恋人はいない」と言質を取っているため、二人の心に少しだけ余裕はある。とはいえ、あの態度は。

「はああああ。」
「敵、まだいんのかよ……。」

  ■■■

 数週間後、この放課後の集いにはもう一人、男が加わることとなる。
 花村紫乃という少女は、案外手ごわい。
 
 奇しくも、彼女から香る花の意味するところは———。


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ライラックの花言葉:タイトルのとおりです。

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