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全部夢でいい

 紘とは、度々お互いの家に行き来してお酒を飲んだり、食事をしたりする。同じ年の幼馴染で小さい時から仲の良かった私たちは、同じ大学に進学して、就職しても、ずっと変わらないままでいた。

「実家、帰る? ゆりの七回忌」
「帰る」
「そっか。…俺らの方が、4歳も年上になっちまったね」

 私たちより一つ年上の姉が死んで、もう6年経つ。姉は学校の帰りに事故に遭って、そのまま帰らなかった。
 冬に差し掛かる時期、夕暮れ。肌寒いのに缶ビールを片手にベランダに出た紘を追って、私も外に出た。きっと、姉のことを思い出しているのだろう。周りの誰も言わなかったけれど、皆知っていた。紘がゆりをずっと好きだったこと。ゆりが死んだ今も、ずっと好きでいること。
 死んだ人には勝てっこないのに、ずるい。

「寒くなってきたね。中入ろ」

 死んでなお想われる姉が羨ましくて、紘を無理に部屋に押し込む。私も部屋に足を踏み入れようとして、サッシに躓いて紘の上に倒れこんだ。
 見慣れたはずの顔が、距離が近いだけで知らない顔に見えた。驚いた後、離れるように肩を押すのが寂しくて、彼を押し倒してそっとキスをした。紘は怒ったように私を睨んで、何も言わずに窓を閉めて戻ってくる。
 いつもより乱暴な足音。ぐい、と肩を掴まれたかと思うと、もう一度優しく唇が触れ、口づけはだんだん深くなる。
 唇に当たる吐息が胸を締め付けるのに、鼓動はどんどん加速する。肌に触れる冷たい指先が徐々に暖かくなるのが嬉しくて、この時間が永遠に続けばいいのにと思った。
 でも、そんなことはあり得ないから。せめて瞬きをした一瞬のうちに、世界の何もかもが変わって、あなたの存在ごとよい夢だったなと思えたらいいのに。

 この行為は誰のためにもならない。けれど、現実を見て悲しくなるくらいなら、ただキスをして、優しく触れられて、幸せだと思い込んでいたかった。そうして、朝には何もなかったように、いつも通りの二人に戻るのだ。きっと、それがいい。
 日が沈み暗くなった部屋の中で、瞬きをする彼の睫毛を見ていた。

  ■■■

 カーテンの隙間から日が差し込み、俺の脱いだままのシャツと凪のパーカーを照らす。起き上がって、テーブルの上の缶ビールを気まぐれに煽ってみるけれど、気が抜けていて苦みだけが残った。

「あー…。」

 ブランケットに包まれた凪は緑色のワンピースをしっかりと着込んで、まるで何事もなかったように穏やかな寝息をたてている。
 昨日、至近距離の凪の瞳に俺が映って、そっと慰めるように唇が触れたら、何かわからないものが込み上げてきて。ただ彼女に触れたいと思った。
小さく丸まっている凪の頬を撫でると、睫毛が震えてまるい瞳が覗いた。

「ねえ、凪。俺ら、一緒にいようか。」

  ■■■

 私は、遠くへ引っ越した。行き先は紘には伝えなかった。
新しいマンションのベランダには、寒さにも負けずにアネモネの花が蕾をつけている。
 淡い赤をのぞかせるそれに、どうか咲かないままでと願った。

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アネモネの花言葉:はかない恋
(赤いアネモネの花言葉:君を愛す)

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