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眠れぬ夜に珈琲を

昨日も今日も、眠れない。 そこそこ疲れた一日を過ごし、日付が変わる前に布団に入ったのに、まぶたが落ちる気配がないまま現在真夜中二時過ぎ。 そういえば、去年も一昨年も九月のこの時期に自分が少し崩れたのだった。 九月は嫌いではないし、特に嫌な思い出もない。誰かを傷つけた覚えもない。夏の暑さも過ぎてカラリと快適ではないか。 あ、と夜中に突然思い至る。 そうだ、わたし、お年頃なんだわ。 お年頃なんてかわいい言葉に変えてはいるが、つまり更年期なんだ。 ここ数年、心がいつも起きてい

    • 六月

      母の命日ではじまる六月。 わたしが成人してまもなく、母は死んでしまった。 よく働き、一日三十品目を心がけた食事を摂り、友人たちと声高らかに笑い合い、趣味を持ち、しなやかな指先とスッと伸びた背中でダンスを踊る、とても美しい人だった。 時が経てば経つほど緻密に思い出すことが増えてゆき、時が経てば経つほど、言葉にできないおもいが増えてゆく。 まぁとにかく、わたしはそれなりに元気だし、今年もお母さんのサボテンはちゃんと花芽をつけたよ、と胸の中にいる母に報告をした。

      • 二月

        「おめでとう」を届けてくれた友人たちの顔をニタニタと心に浮かべながら、いつもの喫茶店へ出かけた。 ピザトーストかホットケーキで少し迷い、夜にケーキを食べることを思い出してピザトーストとレモンティーを注文。 レモンティーに少しだけお砂糖を入れたところで、着信があった。 ごめん、出られない。というか、今日は出ない。 電話をくれた人は、今日がわたしの誕生日だとは知りもしない。確実にそうだとわかる。 今日は、今日だけは、わたしのことを心から大切に想ってくれている人とだけ、言葉

        • 六月

          六月に何かを書き記しておこうと思ったのだろう、一枚の写真だけが下書きに残る自分のページを、今年が終わる今になってようやく開いてみるも、六月に何を書こうと思ったのかもうまるで覚えていない。 想いは胸の奥底に沈んでしまうのだ。 このnoteをはじめるずっと以前に、他所で15年ほどブログを書いていた。 忘れたくない旅の記憶を記すためにはじめたそれも、次第に書けることと書けないことを分けるようになり、そんな自分が苦しくてスッパリやめたのだったが、やはり何かを書きたい性分、気持ち

        眠れぬ夜に珈琲を

          春の記憶

          #写真日記 #写真 #花 #春

          春の記憶

          冬の入り口

          古着屋で買ったワンピースが我ながらよく似合っていると思えた日。 路上でうたう見知らぬ人の声がまるで響かない時。 地下街の入り口でアジアの匂いが鼻先をくすぐった瞬間。 きみに無性に会いたくなるのはいつも、秋の日の帰り道のことだった。

          冬の入り口

          歩き続ける

          きみの姿が見えなくなるまで。

          歩き続ける

          ひかりの季節、秋

          木々の色も路上に伸びる夕方の影もくっきりと鮮烈なのに、ひかりは、ひかりだけはどこまでも柔らかい。 夏の終わりに感じていた悲しみや虚しさといった感情が、秋のひかりに溶かされ、わたしの中にゆっくりと沁みわたる。

          ひかりの季節、秋

          奥底に存在する光のこと

          その日も眠れず深夜になった。 あかりを消した部屋の中で、音を消したテレビが瞬間瞬間で色をかえ主張する。 天井に明滅するテレビの光をぼんやりと見つめていると、そこに色を加えるように、いや正確には、幾つもの光その全てを消し去る勢いで、胸の奥底に沈めたひとつの想いがふっと這い出て煌々とわたしの中で光りはじめる。 夜が深まるほどにその光は眩さを強め、ゆっくりとわたしを苦しめる。 音もなく映像を観るでもないテレビを夜通し消すことができないのは、わきあがる想いの光に耐えられないからだ

          奥底に存在する光のこと