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3月11日が誕生日の子ども達へ。心の底から、「おめでとう」と「ありがとう」

私には3月11日が誕生日の家族が居ます

3月11日は、もちろん東日本大震災の日。あの時のことを忘れないように、テレビや新聞でも特集が組まれます。それは、とても大切なことだと思うものの、何となく1年の中でも、しんみりとした雰囲気になる日です。

だから、3月11日はいつも、悲しみや幸せを考える日です。そのことについて、書いてみたいと思います。

私の家族は3月11日が誕生日と言っても、東日本大震災のあった2011年に産まれた訳ではありません。なので、日付が重なっているだけなのですが、世間がしんみりとしている中、誕生日のお祝いを毎年続けています。

東日本大震災は、日本の歴史だけでなく、世界の歴史の中で見ても特別に大きな災害であることは間違いないでしょう。多くの人の命が自然の力に飲み込まれ、大切な人と会えなくなった人々が今も苦しんでいます。だから、3月11日は特別に悲しい日であることは間違いないと思います。

そのことの重さを理解した上で、どちらかというと、だからこそ、私は家族の3月11日の誕生日は本当にお祝いしてあげたいな、と思っています。

決して東日本大震災の悲劇を相対化しようとしているのではないのですが、3月10日も3月12日も、多分、世界のどこかでは、何年か前に大きな災害や戦争や紛争があった日であって、そのことで苦しんでいる人がたくさんいます。

例えとしてですが、私は今まで、大阪に住んだり東京に住んだり九州に住んだりしたことが有ります。学生の頃は神戸によく行っており、また親しい親戚には広島出身の人もいて、それぞれの都道府県や場所に縁を感じています。

さて、8月6日は広島、8月9日は九州の長崎に原子爆弾が投下された日、1月17日は阪神大震災の日なので、たくさんの人が知っていると思いますが、以下の日については、知らない人もいると思います。

3月10日:東京大空襲の日
3月13日:大阪大空襲の日

亡くなった方の数は気が滅入るので書くことはしません。この他、日本では災害に遭わなかった場所、戦争中に焼け野原にならなかった都市の方がおそらく少ないと思います。この文章を読まれている方も、ご自身の縁のある町について、良ければ調べてみてください。

日本だけでこんな状態ですから、世界に視野を拡げると、おそらく、1年間のどんな日も、その国の人たちにとっては、それは地震や津波の日であり、銃の引き金が引かれた日であり、たくさんの爆弾が空から落ちてきた日であり、もしかしたら、部屋に毒ガスを充満させるスイッチが押された日なのでしょう。

最初に述べた通り、東日本大震災のことを相対化しようとしているのではなく、きっと私たちが知らないだけで、3月11日と同じように「今日」は、どこかの国や地域の人々にとって、辛くてしんみりとした日なのかもしれない、ということを言いたいのです。

何十年、何百年も遡って話をすれば、そういうこともあるだろうと思われる方もいるかもしれませんが、これは別に昔の話に限ったことではないと思います。

最近は、ウクライナでの戦争にすごく関心が集まっていて、とても心配されています。そのことは、とても大切なことだと思います。

しかし、ウクライナの戦争が始まる少し前には、アフガニスタンでは政権が崩壊し、ミャンマーや香港では市民が弾圧され、シリアの悲劇は何年も続いています。ウクライナにしてもクリミア半島が占領されたのはつい最近のことですが、最近ロシアが侵攻するまで、興味が無かった人もいるのではないでしょうか。そして、先日、トルコでは大地震が発生し、現地では大変なことになっています。

それだけではなく、我々が名前も知らないような国々で、信じられないような悲しい出来事が、きっと2023年の「今日」も起こっています。

私たちが遊園地楽しい!とか、焼肉美味しい!とかSNSで投稿した「何でもない今日」は「世界のどこかで確実に悲しい出来事が起こっている今日」なのだろうと思います。

こんな風に考えると、365(366)日はすべて、過去に何かの悲劇が起こった日であるだけでなく、今もどこかで悲劇が起こっていて、それはこれからも未来永劫続くのではないか。

何十年、何百年も前の「今日」に、自然の力や爆弾が降り注ぐことで命を亡くした人たちが居て、縁が有って踏みしめてきた大地も、その人たちの血と涙で出来ているのではないか。

まるでこの世界の、時間も空間も、絶望しか無いのではないか。

そう考えると、目の前の壁にかけられたカレンダーの日付全てが、悲しい出来事を記載したタイルで敷き詰められているようにも感じてしまいます。

これは逃れようの無い、一つの事実だと思います。


…と、暗い話ばかりを書いてしまいました。

こんな風に書くと、今、平和に暮らしていることに罪悪感を覚えてしまって、家族の誕生日を祝うなんてとんでもないことと思ったりもするのですが、私はこの考えだけでは、狭い視野の話だと思っています。

今まで書いたことは、物事を一面でしか見ていないからです。

これは特に説明は不要で、今、外に出て、地面を見下ろしたり、空を見上げれば良いと思います。

地面には草が生えて小さな花が咲き、空には鳥が飛び雲が流れています。血塗られていたはずの大地も空も、確かに美しいことに気付きます。

大地や空だけでなく、人々の生活もそうです。

私の縁のあったすべての場所を挙げてみると、大阪は世界で有数の大都会でしたし、学生時代によく行った神戸はおしゃれで賑やかでした。広島も九州の長崎も、とても美しい場所です。東京は言うに及ばずです。

悲しい出来事を乗り越えて、どの街にも、全ての人がそうではないのかもしれませんが、幸せに暮らす人たちがいました。私も、結婚して子供が出来て、幸せに暮らしています。

辛い過去があったとしても、そこで人が生きている限り、幸せになれるのだろうと思います。

私は先程、1年間365(366)日間、悲しいことばかりが世界で起きていて、それは昔からそうだったし、これからも、それが続くように書いてしまいました。

でも、きっと、同じくらい幸せなことが、私たちが知らない場所、国々で起きていて、そのことも続いていくのでしょう。

瓦礫まみれの荒れ果てた大地にも、花は咲いていきます。

銃の引き金を引いた指は工場で人々の生活を豊かにする製品を作り、爆弾を落としていた飛行機は人々を乗せて、歩くだけでは行けない遠くへ人々を連れて行くのでしょう。押されたスイッチは、教室の照明を点けて、子供たちが勉強をするのを助けると思います。

世界が血塗られていることと同じく、それでも、世界が美しく素晴らしいこともまた、錯覚でも希望でもなく、単なる事実ということにも気付きたいと思います。

私の家族は3月11日に生まれました。

悲しいタイルで埋め尽くされたカレンダーの1日に、まるで小さな花が咲いているように、私には見えます。

荒れ果ててた大地に、小さいけれど、美しい花が咲いたことを、私は祝わずにはいられません。

とても悲しい出来事があった日であることを知っているからこそ、私はその小さな花を見て、大きな声を出して、「おめでとう!」と言うことを、抑えることが出来ません。

そして、何年か前の「今日」に産まれて、この世界の美しさを一つ増やしてくれたことに対して、心の底から「ありがとう!」と感謝をしたいと思います。

なので、毎年3月11日は、東日本大震災に想いを馳せると同時に、だからといって特に遠慮することはせず、家族の誕生日については、しっかりとお祝いすることにしています。

世間には、もしかしたら、3月11日の誕生日について悩んでいる人がいるかもしれません。

ここに書いたことが、悩んでいる人に役立ちそうなら、その時は良ければ、私が書いたことを教えてあげてください。

少なくとも私は、あなたが3月11日に産まれたことを、大きな声で、心の底から「お誕生日おめでとう!」と祝福します。

こんなことを考えながら、私は毎年、3月11日を過ごしています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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