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【オッペンハイマー早く観たいぜ読書】「「終戦」の政治史1943-1945」を読んで自分が歴史の話の何が好きで嫌いか分かった話

クリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」は2024年に日本公開が決まりましたが、公開された際により楽しめるよう色々と勉強するための読書。略して「オッペンハイマー早く観たいぜ読書」。二冊目を先日読み終わりました。

読んだのは鈴木多聞氏の「「終戦」の政治史1943-1945

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784130262255

広島と長崎に投下された原子爆弾は「日本の降伏を決定づけ、戦争を続けていれば失われた何十万人ものアメリカ人と日本人の命を救った」という考え方が有りますが、実際のところ、1945年8月15日の終戦に至るまでに、どんな事情や経緯があったのだろうということを一度きちんと勉強したいなと思っていました。

要は「原爆投下に意味はあったのか」というところを知りたかったのですよね。

アメリカの軍事系の学者さんの論文(和訳)で割とガチ目に「原爆投下は絶対に必要だった」とか言ってたりしてショックを受けたことがあります。その論文で「それは~~の研究でも明らかにされている」と外国人の方の研究が紹介されていてそれ以来、ちゃんと日本人の研究者が研究したものが読みたいな、と思っていて、良さそうなのがこの本でした。

「「終戦」の政治史1943-1945」は、著者の鈴木氏の論文を書籍化するために再構成したものです。時々、論文を書籍化した本を読むのですが、歴史の個別のエピソードを面白おかしく、カッコよく書いた本よりも、私は面白いと思っています(脚注がしんどい時も有りますが)。

「○○は□□だった!」みたいな煽情的な文章でなくても、史料に基づき、誰がどんなことを言って、それがどんな影響を及ぼしたのかを淡々と読んでいくことは、実は結構楽しいことです。

何より楽しいと思うのは、こういう論文の本は人々の営みをリアルに感じられることと思います。

「A」という人の集団が有ったとして、そこに所属する人たちが全て同じ考えで、同じような行動をすることはなく、多くの人が関わることには、自ずと意見の階層みたいなのが出来てしまうし、それも、Aの意見に対してA+とかA-とかA'とかの微妙な違いが有って、その微妙な違いが、歴史に決定的な影響を及ぼすことがあると私は思っています。

「「終戦」の政治史1943-1945」では天皇、海軍、陸軍という主に三つの勢力に属する人たちが、どのような考えで「継戦」や「終戦」を主張し、「攻防」を繰り広げたかが丁寧に述べられています。

私が特に面白いと注目したのは「継戦」派もいつまでも戦争を続けようと思ってはいなかったということ。

日本の敗色が濃厚になったにも関わらず、「継戦」を強く主張したのは主に陸軍です。彼らが何故、継戦を主張したのかについては、悪しき「精神論」に陥って現実が見えなくなったといった理由が巷で言われていることかと思います。こういう無意味な往生際の悪さは、現代日本でもあらゆるところで見られるので、我々も受け入れやすい説なのですが、実際のところは少々違うようです。

「継戦」派の陸軍は、米軍と本土決戦を行えば、1回だけなら必ず勝ち、撃退出来ると考えていたようです。そして、2回目以降は全く自信を持っていませんでした。

そんな中での「継戦」はどんな意味が有るのかというと「一度だけの決戦で米国に目に見える勝利を収めてから、第三国からの仲介によって有利な『終戦』を目指す」といったものでした。そもそもの前提として、「継戦」とは「米国と一度だけ本土決戦」を行うことを意味していたのですね。

そして、彼らが想定していた「第三国」とはソ連。

歴史を知る我々からすると愚かなことに思えますが、陸軍だけでなく海軍も内閣も天皇も基本的に終戦に向けてソ連にいかに仲介してもらうかを考えていたようです。これは日露戦争の辛勝などを意識したものではないか、と考えられます(日露戦争の時はアメリカなどでしたが、第二次世界大戦では日露戦争の相手だったロシア=ソ連を頼るというのは歴史の面白さですね)

一般にソ連の参戦について、陸軍は予想できなかったと言われていたりしますが、陸軍を含めて終戦間近の日本政府関係者はソ連がいずれ侵攻してくると分かっていたと、本の中で述べられています。彼らの予想が外れたのはソ連参戦の「有無」ではなく、「時期」でした。

「ソ連が参戦してくる前に、そして自分たちが餓死する前に、米軍と本土決戦したい。そして、一度だけ勝利を収めて、ソ連に仲介してもらい、良い条件で『終戦』したい」というのが、「継戦」派の主張です。

なので、ソ連が予想よりも早く8月9日に参戦してしまったことは日本政府関係者にとってはかなりショックだったようです。同日行われた最高戦争指導会議では、「出席者全員が精神的ショックを受けていたため、数分間の重苦しい沈黙が続いた」(P.166)ということが書かれています。また、陸軍ではなく海軍の話ですが、近衛文麿の訪露に向けて箱根の旅館で終戦に向けた研究をしていた海軍や東大の教授グループは「ソ連参戦の報を聞くと、愕然として寝てしまった」(P.166)らしく、個人的にはこっちも好きなエピソードです。

ここでオッペンハイマー読書をしている私が注目したいのは2つ。

一つ目は「継戦」派がなぜ「継戦」を主張していたのかというと、それは「戦争を終わらせるため」ということ。

つまり、「継戦」の中には「終戦」が入っていたということかと思います。こういう複雑な事情と言うのは、ちゃんとした本を読まないと分からないことなので、この本を読んで本当に良かったと思いました。

そして、二つ目に注目すべきはソ連の侵攻が、「継戦」の主張を打ち砕いたことと思います。これは、今回、私がこの本を読むきっかけである「原爆投下は日本の終戦に意味があったのか」ということと直接リンクしますので、とても興味深いことです。原爆投下よりもソ連の参戦の方が、当時の為政者に影響を与えたのではないか、というのが、この本を読んだ私の率直な感想です。

さて、原爆とは関係無く、私がこの本を読んで良かったと思うことが有るので、そちらも書いていきたいと思います(実はちょっと原爆の考え方にも関係が有ります)。

「継戦」論の中に「終戦」が入っていた、ということは先に述べた通りですが、その前に「終戦」論の中にも「継戦」が入っていたこともこの本では書かれています。

具体的にはサイパン陥落の後の東条内閣の倒閣運動の事です。

サイパンが陥落して日本列島がB-29の攻撃範囲に入り、戦争に勝つ見込みが無くなったので、国内では反東条工作(終戦工作)が活発になり、継戦派の東条内閣が倒れたというのは良く言われていることですが、戦争の終結は東条内閣瓦解から1年以上も後、つまり、フィリピン戦、日本全国の大空襲、沖縄戦、原爆投下を経た後になります。なぜ、次の小磯内閣で終戦工作が出来なかったのか。

これについて、当時、終戦と継戦の戦いではなく、戦局打開を巡る対立や、政治主導権を巡る対立などが有ったことが理由と鈴木さんは述べています。

私が面白いなと思ったのは、東条内閣の倒閣運動に「終戦」論者だけでなく、「東条内閣のままでは戦局を打開できず、戦争を続けていくことが出来ない」と考える「継戦」論者が入り込んでいくことです。その結果、東条内閣が倒れた後も国内世論を納得させるために(というより継戦論者を納得させるために)、「終戦の前に一度は艦隊決戦くらいはしないといけない」という気分が次の内閣で醸成されてしまった、ということが本で述べられています。

そして小磯内閣は「継戦内閣」でも無く、「終戦内閣」でも無い、「中間内閣」となりました。そして、日本の内閣に「継戦」と「終戦」がいくら入り混じっていたとしても、対外的には単に戦争が継続しているだけとなります。その「中間」の期間に先に述べた出来事が有り、多くの軍人だけでなく、民間人の命が失われることになりました。

Aの意見に対してA+とかA-とかA'とかの微妙な違いが有 ると書きましたが、BやCというAとは相容れないと思われる人たちも、A-の人がB+やC 'の人たちと実は繋がっていくこともあります。

こういう複雑な様相を明らかにすることが、鈴木さんがこの本で目指したことでした。

結論の章で鈴木さんはこう述べています。

”本書は、戦争末期の政治史を、和戦をめぐる「終戦派」と「継戦派」の対立といった図式ではなく、むしろ逆に、いわゆる「終戦派」がなぜ継戦を支持し、「継戦派」がなぜ終戦に同意したのか、その論理と変化の諸要因を明らかにした。終戦論から継戦論が生まれ、継戦論から終戦論が生まれるところに、戦争の複雑さと機徴がある“(P.215)

この「複雑さと機微」というのが、戦争に限らず、歴史というものの面白さなのだと思います(戦争を面白いとか言ってはいけないですが)

そして、ここから無理やり原爆の話にすると、「広島と長崎に投下された原子爆弾は、日本の降伏を決定づけ、何十万人ものアメリカ人と日本人を救った」という考え方について、私が、ハッキリ言って、気に食わないのは、「複雑さと機微」が全く感じられない考え方だからです。

要はそういう考え方は「複雑さと機微」、つまり、「歴史というものの面白さ」を感じられない。もっとはっきり言うと、そういう考え方は単純すぎてつまらない。関西弁で言うと、おもんない。

そもそも「原爆投下が日本の降伏を決定づけた」という考え方自体が事実とは違うだけでなく、そういう「お前の考え方、おもんないねん」という意識が自分の中にある……ということに、鈴木さんの本を読むことで気付くことが出来ましたので、ここに書いておきたいと思います。

さて、実はこの本には原爆の投下に衝撃を受けたスターリンが、ソ連の参戦を促したことも書かれています。

これは原爆の影響はソ連の早期参戦を促し、日本の降伏を決定づけたので、終戦の時期といった点では、(我々日本人にとっては残念ながら)、間接的に大きな影響を与えたと言えるかもしれません。

しかし、アメリカの本土上陸作戦は11/1が開始予定日でした。そこまで日本が保つことができたか。更には原爆が投下されなくても、ソ連は参戦した筈なので、その場合、どうなったか…

こういうことは、「複雑さと機微」のある話です。

日本の戦争を終わらせたのは、原爆と言う軍事的圧力だけでなく、日本国内の事情や終戦間近の国際情勢が入り混じった複雑な事情が有るのだと思います。

その「複雑さと機微」の中には「原爆の投下」というあまりにも大きな出来事も「一つの要素」でしかないのかもしれません。

この本を読んで、そういう「実感」を持つことが出来て、本当に良かったと思っています。

と、いう感じの「オッペンハイマー早く観たいぜ読書」の二冊目の感想でした。三冊目も実は読んでいますので、こちらも別途、感想を投稿することにします。

オッペンハイマー、早く観たいですね。

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