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『Figインタビューvol.3』--踊り上手、美人でその上性格よし!神様の不公平!って思ってたけど苦労は人それぞれ。逆に勇気づけられたDonya(ドニヤ)さんインタビュー--(2017/02/09)

Donya
ベリーダンスインストラクター・ベリーダンサー
1979年東京生まれ。
日本人の父とバングラデシュ人の母を持つ。
2008年にアラビアアンス協会にてベリーダンスを始め、インストラクターに。
2016年に独立し、自身のスタジオ「ドニヤスタジオ」をオープン
Donya
〉〉〉  http://donyastudio.com/
しほみつぎ(インタビュアー)
東京出身 /バンコク在住
2011年に出産子育ての為にバンコクに移住したベリーダンスセレクトショップFigディレクター
バンコク移住後は得意技のスタッフへのムチャぶりにさらに加速がかかりスタッフにいやがられているらしい。


あれはたしかFig主催のロマラクダでのイベントだったはず。

終演後にタカダアキコさんに話しかけている美女が。
しかも私好みのアジアンビューティー。

わたくし、普通のカオして実は常に美女探ししている美女ハンター。
そのわたしの探知機が敏感に反応したので
速攻アキコさんに彼女の名前を聞き出してコンタクトを取り、月に一度の
モデル契約をしてもらう事に成功したのが2年前だったかな。

顔よし、性格よし、踊りよしだなんて、神様はやっぱりずるいと思う。

そのDonyaさんから
「今バンコクに着いたのですが、よかったらお茶でも。」と突然メッセージを頂いたのが2017年1月後半。

年始早々、バンコクで美女とタイ料理デートだんんて、なんて幸せなんだろう!


「多様性を隠した幼少時代とカテゴリーに入ろうと頑張った青春時代」

しほ: Donyaさんの生まれと育ちを教えて下さい

母は19歳で日本にやってきたバンクラデシュ人で、父は日本人、
私が長女で下に弟、妹の3人兄妹という家族構成です。

生まれ育ったのは東京の人形町。
高校時代をオーストラリア、大学5年間はインドの大学で過ごしました。


小さい頃から母の故郷バングラデシュに行ったり来たりしていたため、
ベンガル語も少し分かった時期もあったのですが、日本の保育園や学校に通っていると
皆と違うという事が嫌だなって思うようになってきたんです。

例えば
バングラデシュではピアスや鼻ピアスなどを
女の子が小さい時からお洒落としてする習慣があるんですね。

ある朝起きたら私の耳に前日までなかったはずのピアスが付いていたんです。

寝ている間に母があけたらしいですが
「穴が塞がるから触っちゃダメよ!」と言われて取れない。

仕方なくそのまま学校に行ったら
ピアスしている子どもなんて日本には居ないから友達に
「何であなただけピアスしているの?」と質問攻めされたり(笑)

あとは
小学校であなたって「あいのこ」なんでしょう?とか聞かれて
「え?あいのこってなに?私日本人だけど…」とか。
とにかく日本は全員一緒である事が普通なので、
自分だけ違う扱いをされる事が嫌になってしまいました。

だから小学校に入ってからはバングラデシュの事はなるべく伏せて生活するようになりました。

その後高校一年までは日本で過ごしたのですが、やはり日本では
何かのカテゴリーに入らないと皆が認めてくれないと思い、そのころ始まったコギャルブームに乗っかってコギャルをしてみたりしたけどどうも周りとしっくりこなくて(笑)

自分のアイデンティティが混乱し一体これからのわたしの人生ってどうなってしまうの?と希望を持てなくなってしまったんです。
その時期は親とも衝突する毎日。

以前から親としては
英語の勉強のためや日本以外の人ともつきあわせたくて、いつか留学させたいと考えていたこともあり、
話し合った結果、高校2年生からはオーストラリアの高校に入学する事にしました。

でも当時は英語も出来なかったし、海外に行くなんて私だけ島流しにあった感じがしてしまったので行きたくなかったんです。
でも親が「行くなら今、とにかく行ってきなさい」と背中を押されて渋々留学しました。


「オーストラリアで気づいた事とインドでの5年間」 

渋々行ったオーストラリア、あたりまえですが全て英語での授業なので授業についていくのが大変で更なる挫折の日々(笑)

でも、段々と
「あれ?なんだかここにいると落ち着くかも」と思っている自分に気がつきました。

ハーフだと見た目がまず他のみんなとちょっと違う。
日本に居ると
「普通であることを求められている」ような気がしてしまいそれに無意識に応じていた自分がいて実はそれがプレッシャーになっていた。

でも留学先の高校が
メルボルンから1時間くらい田舎の全寮制学校で、留学生も多くていろんなバックグラウンドの人がいたんです。
多人種の中では「普通」の概念が人それぞれ違うし、もちろん価値観も全然違う。

その時に
「みんなといつも同じじゃなくて良い」
「正しい答えなんて実はどこにもない
あるのは自分の中にある」
と気づき、それ以来迷ったら自分の心に聞くようになりました。
そして自分がハーフである事は自然な事なんだとアイデンティテーを受け入れる事が出来たのもこの時。
そこから「自分なりの生き方」について意識して生活するようになりました。

その高校を無事卒業し次は大学となるのですが、
母の故郷であるバングラデシュにも住んでみたかったので相談したら
「イスラム教の国だから先進国で育った、特に女性だと生活が違いすぎて大変だとおもうわ。
バングラデシュよりインドの方が
外国人も多いし有名な大学があるからそこに行ったら?」と言われたのでインドの大学に行く事に決めたら非常にスムーズに準備が進み半年後にはインドの地を踏んでいました。

インドの田舎にあった大学では芸術学部の工芸科に入学し、テキスタイルデザインを学ぶつもりだったのですがいざやってみると全然自分にはむいていなくて(笑)

ある日 土いじりしたらあれ私にはこっちが合っていると感じたのでセラミックデザイン科へ変更しました。
インドの陶芸ってハニワみたいな素焼きの置きものとかタイルがすごく素朴なので、在籍中はそういう素朴な陶芸をあえて日本でするのもいいかも!とか思いを馳せたりしてました。

この5年間のインドでの生活がとても心地よかったので、大学を卒業したらインドに残り永住するつもりだったのですが、家庭の事情があり家族の元で暮らすなら今しかないと思い一旦、日本に帰国しました。


「音楽好きから始まったベリーダンス」


昔から音楽が大好きでオーストラリアやインドでもライブによく行っていたのですが、インドで中東の音楽の良さを教えてくれた友達が楽器をもっていたから一緒に遊んだりしていました。

大学卒業後、日本に戻って来てからも中東音楽が好きなので何か続けたいとは思っていたのですが、楽器は得意じゃない。
だったら踊ってみようかなと。

日本で派遣社員として働いていた時にたまたま近所の錦糸町のカルチャースクールのベリーダンス教室に参加したのがベリーダンスをはじめたきっかけです。

一般的にはあのエキゾチックな衣装や妖艶な動きに魅了されて始める人が多いと思うのですが、私の場合はベリーダンスと言う踊り自体に魅力を感じていたと言うよりも、中東の音楽が好きで始めたというのがちょっと珍しかったかもしれません。

そしてその時のクラスを担当していた先生が国際アラビアンダンス協会の方でした。

2008年にベリーダンスの世界に足を踏み入れ、最初の1年は週に1回通っていたのですが、もう少し深くやりたいなと思った時に丁度アラビアンダンス協会のミーナ・サレー先生がバックダンサーコースのオーディションをやっていたので受けみました。

合格してバックダンサーになってからは週5、6レッスンという日々がはじまりました。
働いてた派遣先がちょうど横浜だったので帰りに横浜のスタジオでほぼ毎日レッスン。

1年くらいした頃、今度は働いていた派遣が終了になったのと、インストラクターにならない?と声をかけられたので
ベリーダンスのインストラクターになることにしました。

結局2010〜2016年までアラビアンダンス協会でインストラクターとして働かせてもらいました。

「ベリーダンサーDonyaとしての活動」

しほ: Donyaさんものすごく若く綺麗ですが気をつけている事ってありますか?

昔から若く見られる方ですが、なるべく何もしない事、ナチュラルで居る事が私にとっては一番いいみたいです。
ファンデーションもしないし、元々肌が太陽に強いので、日焼け止めもしません。今では基礎化粧品もミネラルウォーターだけです。

高校生の時はみんなと一緒にメイクしたりしてたけど人より敏感体質なのか、やればやるほど調子が悪くなってしまうので、色々なことをやめていったら体調も肌も調子が良い事に気がついたんです。

食べ物も昔はなんでも食べていたけど インドから戻って来て小麦粉、卵、乳製品のアレルギーが出て受けつけなくなったので一度食べるのを止めました。
しばらくは牛肉豚肉もやめていたけど、最近はまた食べれるようになりました。
お酒も飲めないので、どうやら体はそんなに強くないみたい。

添加物をなるべく控えるように意識はしています。


しほ:身長152センチだけどそんなに小さく見えないんですが

ステージで大きく見せようと心がけている事としては、まあ普通の事かもしれませんが、伸びるときは最大限のびる、稼働域をひろげるように意識しています

しほ:ベリーダンスをやる前に何か他のダンスの経験はありますか?

もともと何のダンスもしていなくて、インド留学中にヨガをやっていたくらいです。
でも実は3−4ヶ月くらい前からインド古典舞踊のオリッシーダンスを
星野あかねさんという方の元で週に1度、月に2−3回だけど習い始めました。
これまでのダンスを教える立場から、まったく1から何かを習うのがとても新鮮です。

インド古典舞踊って歴史のある厳しいダンスだからインドに居たときは恐れ多くて習えなかったのですが、ソニアやコリーナがやっているのをみて
古典舞踊からくる気品が素敵だなと思い興味がわき習い始めました。

今後どういうタイミングで自分のダンスに取り入れられるかは分からないけれど、基本の姿勢が空気椅子だからそこからくる下半身の強さ、
手の形の美しさは取り入れたいし、優美な動きは非常に勉強になります。

自分の中でベリーダンスは試行錯誤中の時期なのですが、
現代っぽいベリーダンスよりは昔の絵の中から出て来たようなベリーダンスが好きなので見る人が異空間にタイムスリップした気分になれるようにするにはどうしたらいいかなと常に思っています。

2017年の目標と将来のこと

日本に帰国し、趣味でベリーダンスを始めて以来だんだん東京に居る生活がベースになって来てしまって今に至るのですが、これから先、長い目で見るとずっと東京に居る事はないとは思っています。

インドに居て気がついたんですが、
周りに人間以外の生き物も居た方が心地よく感じるみたいなんですね(笑)

そう考えると生まれ育った「東京」はあまりにも大都会で無機質過ぎて自分にとってはいい環境とは言えないし、
マナーが良い事よりは目がキラキラしている事のほうが私には大事なので、すぐにではありませんが、将来的にはそういう生き方ができる国へ移住を含め考えています。

しほ:ベリーダンスを辞めたいなと思った事ってありますか?

それは今までほとんどないんですが
独立してからは特に、必死になって「ベリーダンサーDonya」になろうとしていたみたいで2016年の年末、本当に最近なんですけど、ベリーダンスを踊りたくないなと思う程、ちょっと辛かった時期がありました。

というのも日本って暗黙のルールがとても多いと思うんです。

私も知らず知らずのうちにそのルールに必死にあわせようとしてしまい、行き詰まりを感じたりしていたみたいなんです。

だから今回こうして年明けにタイに来て、インド大学時代の友人と会ったり
パンガン島でモニカ・ナタラジのWSを受けて改めて自分だけの人生を
歩む勇気をもらいました。

2017年は自分が求めている事をやりたいので、以前から行きたかったスペインとモロッコに行く予定です。


しほ:スタジオはこれからどうして行く予定ですか?

2016年に独立してオープンした自分のスタジオですが
広く浅くベリーダンスを広めていくような、ベリーダンスの入り口になれればいいなと思って活動しています。

入り口というのは
「ベリーダンスの女性らしさ、セクシーさを全面に押すと言うよりも、
健康な身体とハッピーな心をもつ事が出来る一つの道具」として広めていきたいのでそれに合うようにアプローチしていきます。

わたし、踊る時に一番大事なのは「楽しい」と思ってもらえる事だと思うんです。

ですからうちのスタジオでは競争して追い込むよりは、踊りたいという気持ちと踊って楽しいと思う気持ちを忘れないで、
セクシーや女性らしさよりも明るい気持ちでのびのび踊っていって欲しいと思っています。

ベリーダンスは誰でも出来る踊り。
バレエよりも体に負担がないし、体の中心軸ができ、隅々まで筋肉に意識がいくようになるメリットを皆さんに享受して欲しいです。

幸運な事に、母はバングラデシュ人なのでイスラム教徒ですが19歳で日本に来て元々性格もオープンなので私がベリーダンスをやっている事に対しては全く反対しません。むしろ両親は誰よりも私を応援してくれてます。
バングラデシュ側の親戚もFBでつながってるので私がベリーダンスをしていることを知ってるけど、日本育ちと言うのもあってみんな応援してくれているのでその事を忘れずに、時には自分の心の声をききながらこれからも進んでいきたいです。

インタビュー後記 ーーーーーーー

特にハーフである場合、見た目が美しいのでそれだけで「いいな〜」と思ってしまいがちな我々日本人。

ほんと単純。

普段会うといつもにこやかで太陽のような方なので、勝手に順風満帆と思っていたDonyaさんの人生。
今回少しだけ深い所をかいま見せてもらい、(彼女にに言わせれば)挫折の繰り返しだった事に驚くとともに、そこから毎回気づきを得て今のDonyaさんがある事に私も色々と学ばせてもらったのでした。

タイでお会いできて本当によかったです。



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