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現代に翻訳? 昭和おばさんの嘆き

2年前に知り合いの方がSNSに投稿していたのですが、再び考えてしまいました。

「現代の子どもたちが読みやすいように言葉のリズムを大切にした新しい翻訳をしています。」

って、、
これ、かの歴史ある会社が新しく電子書籍で出版したシリーズの紹介です。
若草物語なのですが、


旧訳1972年
「だって、お父さんは、今いらっしゃらないじゃないの。それにいつお帰りになるかも、わからない」
 

新訳 2022年
「お父さんはいま、いないじゃん。
しかもしばらく会えそうにないし」


昔の話だから昔の言葉で訳せとは言いませんが、
この旧訳に込められた、父親に対して敬語を使っていた時代の言葉の美しさは伝えなくていいんでしょうか??

現在の大河ドラマは紫式部の物語なので、頻繁に文字を書くシーンがありますが、見ていても正直読めません。確かに昔のままのことは理解できないこともあり、わからなければ面白くはないです。大石さんの脚本の匙加減は本当に緻密で、セリフは今の時代に近いのに、細かい言い回しには、時代の雅さを感じます。
よもや紫式部ご本人たちがこのドラマをご覧になれば、さぞや憤慨されるかもしれませんが、私たちにとってはその時代やそこで生きていた貴族社会のリアルさを感じてしまうのです


話を戻すと、この訳はどうなのか?
これはドラマではなくて文学なのです。
文学とは言葉、表現そのもの、その全てが作品の姿なのに
例えばゴッホの絵を現代風に描き変える人いるでしょうか?
いたとしても見る人はゴッホの作品ではないことを前提に見るけれど、この作品をこの訳で初めて読む子供は、これイコール若草物語だと理解するわけです

それでいいのかな?

森鴎外や夏目漱石の作品を現代語に訳す人はたぶんいないと思いますが、外国文学ならば尚のこと、その時代のあるべきラインは引かなければいけないはず。この訳にはそこを感じられないのです。

いったい他の作品はどうなっているのだろうか?
昭和のおばさんは文化がどんどん雑になっていくようで切ないです

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