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加藤のファミリーヒストリー9 孫の誕生に贈ったものは

尚文、登美子、君枝のところに次々と子供が生まれます

尚文
長女真紀誕生1957年6月14日 長男真史誕生1961年9月16日

登美子
長女陽子誕生1959年2月27日 次女有紀誕生1962年6月22日 
三女元子誕生1966年5月21日

君枝
長女(私)誕生1961年10月1日


清もみつも孫の誕生をどんなに喜んでくれていたことか
ここに登美子の長女陽子に送ったメッセージがあります



二十年後の陽子ちゃんへ

今、あなたは生まれて一年にも達しない。しかし、20年後の陽子ちゃんに当てて私は遺書を書きます。私は慶応義塾に学び、福沢諭吉先生の独立自尊を体得した。先生は独立自尊をモットーとし、人間の平等性を強く主張した。人間平等と独立自尊は私の守り本尊となった。(中略)

独立自尊も狭く見ると自己主義になる。陽子の時代は日本だけでなく世界を中心とし、宇宙を懐にした独立自尊でなければならぬ。自覚せる自我の、時勢に適応した大我でなければならぬ人間平等は文化が進むほど拡大する。独立自尊は個の確立のみならず、その裏側の他尊心も培わねばならぬ、陽子ちゃんよ活眼をひらいて時運に棹してください。どの方面でも、けっして後塵を拝してはならぬ。時代とともに動くには、教養、訓練、健康が基礎です。私はあなたに期待している。

どうぞ、私の期待、希望を生かしてください。決して急ぎなさるな。ゆっくり足を地につけて毀誉褒貶を気にせず、悠々真実を観ながら進んで行って貫きたい。幾年経っても、また一生貫いてもかまわない。ぜひぜひ、真実をつかんでください。真理はどの世界、どの分野にもあります。

嫁にいこうが婿をとろうがそれはあなたのその時の心持ち、判断に任せますが、あなたの一生の仕事を終生やり通してください。幸福は生まれて来ます。あまり速成の幸福を追いなさるな。堅忍持久、自信を持ってあたってもらいたい赤ん坊の顔は神様のようで清浄だという。陽子ちゃんは今活動し躍進している神である。良き環境は良き人間の資格を与える温床である。適性なる職種を忠実に研究し、踏み外す事なきよう周到の配慮をせられんことを衷心から希望する。
ただそれを、カビをはやし腐らせてはいけない。
生活に安住した職業に固定してはいけない。
常に進取の気持ちを続けなければいけない。

不合理の継続は一時順調に見えても終わりはちゃんと清算される。
陽子ちゃんの輝かしい誕生にあたって、私は歓喜すると同時に、かくのごとき期待を寄せるものであります。今後の、長い波乱の多い人生を強く生き抜くための方策を練って行かれよと望む。私は陽子ちゃんの成人を楽しみ。

色々考えながら死ぬ。なんと私は幸せな者でしょう。
昭和34年 文化の日 加藤清


生まれたばかりの孫にこんな文章を書くでしょうか?
どんな時でも福沢諭吉先生の教え人間平等と独立自尊からブレなかった清。
独立自尊は自分勝手であってはならない、日々前進することを忘れず、前進できる自分を維持してゴールを見据えて生きろと
たとえ赤ん坊でも将来の大人として伝えるべきことを伝えようとする清の姿勢は変わりませんでした。

私がまだ幼稚園児だった頃、私だけが一人っ子だったので、親戚が集まると賑やかな従姉妹たちのパワーに押され気味で、我先にご馳走に手を伸ばしたりできずにいると尚文伯父はすぐに
「食うのか食わねえのか、はっきりしろー」と怒鳴りました。
いつものことなのであまり相手にせずにいると清は私の顔を覗き込んで

「あなたは、あなたの道を生きなさい」
と言いました。なぜだかその後ずっとこの時の祖父清の言葉と眼差しが忘れられないのです。そして人生に迷ったときにこの言葉を思い出すのでした。

幸枝に抱かれているマフミ(男の子だけど)その下が真紀乳母車に乗っているのが私
登美子一家
母君枝と私

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