加藤のファミリーヒストリー13 兄弟新聞発行
昭和43年7月15日 登美子が加藤の兄弟新聞を発行します。
なぜ、このような新聞を作ることになったのか?その経緯は知りませんが、それぞれの家での出来事を報告するシステム。今では家族でFacebookをしている人もいるかもしれませんが、家庭用プリンターさえない時代にガリ版でこんなことを考える家族がいたのでしょうか?
今回写真集を作るにあたり、登美子はしまってあったこの新聞を探し出して私に送ってくれました。昭和43年~昭和45年までの貴重な記録です。
そして驚くのは、清を始め子供達、そして孫たちもみんなよく書くこと!どの月も原稿はびっしり埋まっています。書くのが好きな遺伝子だからこそできた新聞。ここに当時の生活が生き生きと記されています
下の写真は原本
加藤の兄弟新聞 発行 昭和43年7月15日
毎月一回の割で兄弟新聞を発行する予定です。
各自の家の近況をお寄せください適当に編集発行します。
これはまだハシリで零号です毎月月末〆切月はじめの発行としますので
今月中にお送りください
子供の小さな可愛い話題
日記のようなメモ
夏バテを防ぐスタミナ料理レシピ
すでにたくさんの執筆をしていた尚文や尚武の新刊紹介
普通の家族がこれだけの情報を交換する新聞
(普通じゃないのかな?)
清は度々「大五会」のことを載せています。大五会とは大正5年慶應義塾卒業生の会のこと。卒業後も清はこの仲間たちを会うのが楽しみだったようです
大五会(大正5年慶應義塾卒業生の会)昼飯を食べているところに坂東君から電話。今月大五会に来なかったね。来月は十四日だが出席するか?出るよ、今月は新調のゴム靴が歩くと足が痛い。それで時間に間に合わなくなった
1968年9月号より
写真1 左から5番目が清
写真2 慶應義塾大学時の写真
中央の先生から左2番目が清
写真3 前列左端が清
加藤の兄弟新聞
清の子供達は人生を面白く生きる才能を持っていたのかもしれません。
そしてこの記録は私の育った昭和の時代を生き生きと思い出させてくれるのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?