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天文学の歴史をざっくり解説①

天文学は最も古い学問の一つとされます。古来から人々は空を見上げ、暦を作り、農耕などでも天文学は活用されてきました。天文学の歴史は人類の歴史とともにあると言っても過言ではないです。

古代の人の宇宙観

文明ごとにその環境ごとに応じた世界観が自然と作られ、それが神話として現代に残っております。

古代インドの宇宙観(中央にある山は須弥山という架空の山)

世界中の神話に書かれている宇宙観は、地球が宇宙の中心であるとする天動説が主流です。

天動説

中世の16世紀まで信じられてきた天動説を大成させたのは2世紀のギリシャの天文学者プトレマイオスです。著書「アルマゲスト」に天動説はまとめられており、次の通りです。

見かけの動きの速さから、地球に近い順に 月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星が回っている。
地球の周りを回る惑星は、軌道が楕円でなく、真円である。

しかし、これだけでは見かけ上の惑星の運動で起きる「惑星の逆行」という現象を説明することが出来ないので、さらにプトレマイオスは「周転円」という概念を取り入れました。惑星の逆行について詳しくは👇


周転円は、地球を回る見かけの惑星が運動するときに、もう1つの円の周りも回るという考え方です。これによりかなりの惑星の運動を説明出来たので、長い間天動説は人々に支持されたのです。

周転円によって逆行を説明

地動説

地動説自体を唱えた学者は紀元前3世紀からいたが、説明できない(惑星の逆行現象)ことが多かったので、実際に支持されるのがかなり遅くとなりました。

ポーランドの天文学者コペルニクスの著書である「天球の回転について」にて地動説を説明しているのですが、当時は異端思想とされていたので、「数学的な考察として出版する物であり、地動説を真実であると主張しているのではない」とコペルニクスは慎重に著作していきました。

実際にこの本が出版されたのも、コペルニクスの死後でありました。地動説を支持する者が異端尋問にかけられるという事もあったので、このような行動を取ったのだと理解できます。

ですが、コペルニクスは惑星の軌道は真円であると信じており、惑星の軌道が楕円であると発見したのは、ドイツの天文学者のヨハネス・ケプラーです。彼の師匠であるティコ・ブラーエが遺した観測データを活用して発見したとされています。

楕円軌道

地動説の考え方では地球が太陽のまわりを1年で1周するなら、それにともなって星の位置がずれて見えるはずです。これを「年周視差」と呼び、年周視差を見つける事は当時の技術で至難の業だったので、完全に地動説が世間で受け入れられるのはもっと先の話です。

実際に年周視差が発見される前に、「恒星の年周光行差」(雨の中走ると雨粒が前に向かって落ちるように見える現象)が1727年にイギリスの天文学者ブラッドリーに発見され、地動説が確立していきました。

年周光行差の説明


次回:シャプレーとカーチスの大論争、ハッブルが見つけた宇宙膨張乞うご期待ください! 


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