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「汚い」なんて顔しないで、心配そうな声で「大丈夫?」って言って。

令和元年の秋、雑誌『SPUR』が創刊30周年企画の広告を出した。
東京・渋谷に。生理用品のサンプルとともに。

きっと、賛否両論分かれるだろう。
SPURの五十嵐編集長も「色んな方の色んな反応を想定した」と述べていた。

私には刺さった。

こうして、「書かなければならない、今すぐ言葉にしなければならない」と乗り換えのために降りた東京駅で、ブックカフェに飛び入るくらいには。
閉店時間が迫っているのも、割高なこともわかっていて、370円のホットティーを頼むくらいには。

つまり、相当刺さった。


今朝から生理が来た。
ルナルナの予想より1日早く。
前回はすごく早く来てしまったから、心配していたけれど、ちゃんと来た。
「頻発月経なり」の周期で、ちゃんと来てくれた。

あまりに辛くて、おやつの時間まで寝てしまった。
大事な1限には出れなかった。

夕方、やっと外に出て、報告会のために大学に向かう。
大学最寄り駅のローソンで生理用のナプキンと温かいお茶を買った。
「袋、一緒で大丈夫です」と言ったら、店員さんは困った顔をした。
彼女の右手には、すでに黒い袋が握られていた。
結局、黒い袋に包まれたそれを、お茶の入った半透明の袋に入れてもらった。

報告会の途中、ずっとお腹が痛くて、何度かくらくらした。

「生理なんか無くなればいい」って口にする。
実際、子どもが欲しい時だけ「準備」する身体のメカニズムになればいいのに、って思う。

でも、半分本当で、半分は嘘なんだ。


これからすごく怖いことを書く。
「どうってことないじゃん」って思っても、どうか、私には伝えないで欲しい。
こんな、読者に対して何か要求する書き手にはなりたくないけれど、今回だけは。


初めて生理が来たのは中学1年生の冬。
お正月休みで、母と一緒に家にいた。
横着な親子なので、お手洗いの電球は切れていた。

けれど、昼間だったので、その赤には気づいた。

すでに生理について習ってはいたし、一個上の従姉妹がいたから、不思議と怖くなかった。
むしろ、従姉妹に来ていたから、早く来て欲しかった。
来てくれて、安心した。

お母さんも喜んでくれて、単純に「嬉しい」と思った。

でも、2回しか来なかった。

初経から一ヶ月後、バレンタインの頃、私はインフルエンザにかかった。
ひどい熱にうなされて、みかんゼリーも3口しか食べられないような1週間だった。

3月の生理は来なかった。
母に「最初は不順だから」と、言われて、そういうものか、と思っていた。

4月。
クラス替えをした。新しい集団には馴染めなかった。
1年生の頃の友達からは、少し、距離を置かれて言った。

この月も生理は来なかった。

そういえば、インフルの時、急に体重が落ちた。
治ってからも、以前より胃が小さくなって、体重はゆっくり落ちていた。背は伸びていたのに。
思春期。少し、嬉しかった。

5月の生理も来なかった。
「あれ?」と思うようになった。
体重は、一年前より8kg減っていた。定期考査の成績は、良くなっていた。

7月に引っ越した。
夏くらいになると、自分の食べる量が減っていることを自覚していた。
揚げ物やピザを食べると、お腹がすごく痛くなることに気づいた。


その頃になると、生理のことを考えないようになっていた。
いや、考えないようにしていた。

怖くて。

母からも「生理来た?」と聞かれないようになっていた。

中学2年生の夏休み、友達と遊んだ記憶が恐ろしいほどない。

9月末の学園祭を終えると、欠席が、少しずつ増えた。
教室に居づらくなった。

年が明けて、初めての月経から一年経った頃には学校に行ってなかった。
代わりに、精神科に通うようになっていた。

体重は、中学に入った時よりも13kg減っていた。


長々と書いたけれど、つまり。
急激に体重が減って、生理が止まった。


生理が来てないことも診断理由で、私は精神疾患者になっていた。
食べたいと思えない。
食べなさいと言われて、和菓子を4つも食べたり、週一回必ず食べ放題に行って、異常な。
吐いてないことだけを「正常」の拠り所にする。

「2年間生理が止まったら、もう産めないかもしれません」 
そう言われて、食べて、体重を増やすように言われて、食べて。

でも、どうでも良かった。
食べた後の膨満感と眠気、それによって勉強が捗らないことが嫌だった。
その時は、何よりも。

そうやって過ごして。月日が過ぎて。

高校2年生の夏に、異性で初めてちゃんと好きな人ができた。
ガリガリで胸がないこともコンプレックスだったけれど、それ以上に「産めないかもしれない」身体が嫌だと感じた。

「この人は私が『産めない』って知ったら、私を好きになることはなくなるんだろう」と思うと、自分が嫌で。嫌で、仕方なかった。

まだ精神科に通っていたけれど、前よりきちんと食べられるようになって、精神的にもずっと安定していた。

それでも、生理はなかった。
それが当たり前になっていたし、一生そうなんだろう、って思っていた。
だって、デッドラインは過ぎていて、私はもう4年半も生理が来ていなかったんだ。


高校2年生の秋、学園祭の前、好きな人とLINEをしていた夜。
経血を見た。
自分の身体から、黒い、紅い、液体。

驚いた。そして、泣いた。
来るようになるまで、本当はずっと、どこか怖くて、怖くて、不安で、ほんの少し期待していた。

一番ひどい時より7kg戻った体重。
それは、きちんと、意味があった。

母も泣いた。精神科の先生は、珍しく笑った。保健室の先生も、喜んだ。
何度も、何度も、「ありがとう」って唱えた。

私はきっと「当たり前」を欠いていた。
その歪さのおかげで、可愛い服を可愛く着れていたし、成績もぐんと伸びた。
今でも「生理が来ていなかった」から、あんなに勉強できたんだと思う。

だって、今は生理が近づくたびに進捗はなくなるし、生理が来るたび予定をキャンセルしちゃったりする。
それに、体重は増える一方。可愛く着れない服ばかり。頭は鈍った。

それでも、本当に「来なくなれ」とは思わない。
少なくとも、心からは、思わない。

生理が戻っていなかったら、少なくとも私は、女性としての自信なんて持てなかった。
誰かに告白したり、誰かの告白を受け入れたり、そういうことは一切できなかったと思う。

今でも、嘘をついている感覚がある。
もしかしたら、産めないかもしれない、身体。


2年前。大学一年生の頃。
「子どもは3人欲しい」と言った、「恋愛≒結婚」と言った男の子。
嫌いじゃなかったけど、尊敬していたけど、付き合えなかった。
裏切るかもしれない、そう思ったから。


生理が来るってことは、当たり前じゃない。

経血を、「汚い」って、「不純」って、そう言う人がいるかもしれない。

確かに、シーツについたらげんなりするけれど。
何かに付着してしまったら申し訳ないって思ってしまうけれど。

でも、「汚い」「不純」なんてことない。
「そんなことない」って、思って欲しい。


5歳の頃かな。お母さんっ子で人見知りの私は、お手洗いまでついて行っていた。
目に飛び込んだ赤。白い再生紙の上に、赤。
私は、どうして血が出るのか、無邪気に尋ねた。

「赤ちゃんが来る、準備をしているんだよ。赤ちゃんが来なかったら、準備していたベッドがこうやって出て来るんだよ」

お母さんは、そう答えた。

そうだよ。

生理は、経血は、不純なんかじゃない。
汚らわしいものなんかじゃない。

私の一部が、誰かの一部のために、用意していたもの。
誰かを守るために、つくっていた何か。

それが、汚いもの、なわけない。


私たちは、いつ巡り合っても誰かを守れるように、毎月毎月、準備している。
毎日と言ってもいいかもしれない。
大変なのは産む時だけじゃない。痛いのも、辛いのも。それでも、私たちは。


「汚い」って顔されたらすごく辛くなる。
「大丈夫?」って、それだけの一言で、すごく救われる。

上手く言葉にできなかったけれど、そのことを、伝えたかった。


最後に。
このようなことを言葉にできたは、生理の悩みを共有してくれる方々のおかげで、「生理です」「辛いです」って言ったら「大丈夫?」って気遣ってくれる方々のおかげです。
それだけではなくて、私の意見を尊重してくれる環境や、少しでも大事にしてくれる、方々、全員。心から感謝しています。

願わくば、生理のことに限らず、この文章を読んでくださった方々の側に、支えになる方が居ますように。ほんの少しでも、ここで紡いだ言葉が、誰かの力になりますように。


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