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「60歳のトリセツ」

「60歳のトリセツ」(黒川伊保子 扶桑社新書)

脳科学・人工知能研究者の著者による、60代の女性に対するメッセージの本。60代になったら生殖本能から自由になって、おおらかに生きましょうという話。読んでいて何となく楽しくなってくる本である。脳科学の部分はやや疑わしいが。

 50代までの人生と、60歳からの人生は、脳の生きる目的が違う。
 50代までは、生殖期間(産める期間じゃなく、子どもを一人前にするまでが生殖期間だ)である。自ら正しく生きようとし、子どものそれも推進してやる必要がある。
 けれど、60になったら、その呪縛から解放されて、おおらかな感性で生きなきゃね。そもそも「頭の回転が良く、美しくて、スタイルもいい」なんて、生きる指針にしていたらつらすぎる。それらは、60にもなれば、万人が失っていくもの。これを指針にしていたら、ボケるのが怖いし、老けるのが怖くてしかたなくなる。必ず行く道なのに、怖がって抵抗するのは、人生の無駄遣いでは? (7ページ)

 今まで、美人やイケメンで売っていた人には気の毒だけど、もうそれはウリにはならない。60代になって、「素敵」と言われる人たちは、表情が豊かで、ユーモアのある人。この2つは、ありがたいことに、いくつになっても、努力で保つことができる。多少ボケても、笑顔とユーモアがあれば、一緒にいる人を幸せにすることができるもの、生きている甲斐があるってことだ。(28-29ページ)

 たとえば、歩けなくなると、脳は世界観を小さく折りたたもうとする。玄関までもたどり着けない身体に、「世界の果てまで行ってみたい、瑞々しい好奇心」が載っていたら残酷でしょう?脳は世界をうんと狭くして、外のことがわからなくなるのである。子は、そういう親を「ボケた」と言うけれど、見方を変えたら、脳が優しい魔法をかけてくれたのに他ならない。(32-33ページ)

 60になったら、周囲を大目に見よう。
 誰かが愚かに見えたら、「あ~、自分が優秀になりすぎちゃったんだな」と思って、まずはイライラを止めること。次に、口を出すか、手を出すか、はたまた本人が自ら失敗して学んで成熟するのを見守るかを、冷静に選択すること。(41ページ)

 イタリアには、「明日できることを今日するな」という格言がある。60過ぎてからの、私の座右の銘でもある。(47ページ)

 結局、子どもは、親の「度量」を超えられないのである。親が感じた心配をそのまま口にしていたら、子どもは、きっと本人が願ったより小さな世界で生きていくことになる。特に、成人した子を持つ60代の親の役割は、思いついた心配を、思いつくまま口にすることじゃなく、子どもの生き方を肯定してやることに尽きると思う。(71ページ)

 角田先生のことばで、さらにそれを確信した私は、「脳は、生まれてくるとき、この地球というアトラクションで何年遊ぶか、決めて生まれてくるのだ」と納得した。短かろうと長かろうと、それは、脳が選んだこと。脳は、決めた年数を楽しんで、向こうに戻るのみである。だから、私は自分の寿命もまったく気にならない。(77ページ)

 あるとき、ラジオで、私はこう訴えた。---親は子に、愛をことばで伝えてほしい。「あなたが生まれてきて、本当に嬉しかった。あなたの親になれて、本当に良かった。生まれてきてくれて、ありがとう」と。
 それは、その子の自尊心の核となって、ずっとその子を守り続ける。どんな理不尽な目に遭おうと、人に謗られようと、存在自体を肯定できる人は、本当に強い。
 できれば、子が自立して家を出るまでに言ってあげてほしいけど、間に合わなかったら、いくつになってからでもいい。たとえ、50の子に80の親が言ってやっても、その子は、ふりかえって50年の人生と残りの人生を肯定することになる。(80-81ページ)

 私たちはみんな、たかだか100年の地球旅を楽しみにやってきた旅人なのに違いない。あなた自身も、あなたの子も。
 あなたなら、砂漠で出会った「地球を楽しむために降り立った小さな魂」に、「期限のある旅人」に、「世間一般の生き方をしなさい」と言うだろうか。私なら、「あなたにしか見つけられないものに、どうぞ出逢って。あなたが出逢う、苦しみも悲しみも切なさも、すべて、あなたのためのドラマだから」と言うと思う。
 私は、だから、私自身にそう言い聞かせているのである。---「世間」に納得してもらうために生きてるわけじゃない。裸の心で、この星の真実に触れること。痛くても、悲しくても。他人の目にどう映ろうと関係ない。私の目に、地球がどう映るかが重要だ、と。
 そのことばを、あなたにも贈りたい。あなたが、「世間」から解放されますように。(84-85ページ)

 30代は、脳が望んで失敗し、痛い思いをして、脳の優先順位を決めるそんな時期なのだと思う。特に35歳までは、惑いと痛い思いの交錯がひどすぎる。30代はつらかった、と思い出す人は多いのでは?(118ページ)

 自分の脳に降りてきた正解を、迷う若者にプレゼントするのはいいが、そのプレゼントを使うかどうかは、彼らの脳が決めることだ。(143ページ)

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