見出し画像

「言葉にして伝える技術」

「言葉にして伝える技術」(田崎真也 祥伝社)

ソムリエの著者による、表現力を豊かにするための解説の本。表紙裏の以下の文を読んで、全くその通りだと思った。我々は陳腐な決まり文句でわかった気になっているだけなのかも知れない。ソムリエとして、言葉に誠実に向き合っている姿勢が、非常に印象的であり、我々も言葉を大切に使わなくてはと思わされた。味、香り、言葉、そして教育論にも話が広がっていて、相当古い本だが、とても面白かった。

 私たちが日頃なんとなく「おいしい」を伝えてつもりで使っている表現は、およそ不完全なものばかりだという。それは、深く意味を考えずに常套句を使っていたり、先入観にとらわれて、本当はどうなのかを正しく言い表せていなかったりするためだ。
 そこで、正しい感覚を取り戻し、言葉の数を増やし、表現力を豊かにするためにプロセスについて解説したのが本書である。

 では、なぜソムリエは、五感で感じたことを言葉に置き換えるのでしょうか。五感で受け止めた感覚は、潜在的な記憶にとどまることがあっても、それだけでは、自由自在に引き出せる記憶にはなっていません。いつでも思い出し、より明確に呼び起こすためには、言葉が必要なのです。ワインを一種類ずつ、五感のセンサーで受け止めた感覚を左脳で判断し、言語化し、記憶し、それを整理しデータとして蓄積することにより、容易に検索するための手助けとするのです。
 そして、その言語は、他人と共有できなくては意味のないものであり、英語やフランス語などと同じように単語の意味を知り、文法を学び、使いこなしていきます。こうすることで、世界中のワイン生産者やソムリエの間で有効なコミュニケーション・ツールとなるのです。(4-5ページ)

 たとえば、おいしい肉料理を食べたときに、「やわらかくて、おいしい」という表現が常套句になっているのではないでしょうか。しかしながら、この「やわらかくて」には、触感による感覚のことしか表現されていません。嗅覚や味覚---つまり、香りや味がどうなのかがまったくわかりませんから、相当に不十分な表現と考えていいでしょう。しかし、だれも不思議だと思わずに、今も頻繁に使われており、すんなり受け入れられている表現なのです。
 本来、食べ物は、視覚で概観を、嗅覚で香りを、聴覚で噛む音の響きを、触覚で歯ごたえや舌ざわり、熱を感じ、そして五つの味のバランスを味覚で確かめ、そのトータルで表現すべきものです。(6-7ページ)

 コンピュータなら、膨大なデータがあるからこそいつでも検索でき、自在に処理することができます。その膨大なデータというのは、記号によってデータ処理されていて、それと同じようなことが人間の頭脳でできればたくさんのことを記憶できて、いつでも引き出すことができるということになるわけです。
 ワインの試飲はこれに近いことをやっていると思っていただければ、わかりやすいでしょうか。
 そのために、これまで述べてきたように、最も手っ取り早く、簡単な方法が、感じた感覚を言語に置き換え、整理をしながら記憶をすることになります。(86ページ)

 いずれにせよ、パリのワインスクールでは、表現方法は別として、ワインのテイスティングにとっての香りの重要性を学び、そこから僕自身も香りに興味を持つようになりました。こうして、少しずつ香りのボキャブラリーが増えていくうちに、漠然と単語で覚えるのではなく、もっときっちりと香りを体系化して、分類すべきではないかと考えるようになりました。(98ページ)

 "香りのノート"には、次第に単語が増えていきました。
 しかし、単語を増やすだけでは意味がありません。なぜならば、他のソムリエたちと共有できる言語とするための単語には、意味が必要なのです。表現に用いるための生きた語彙にしなくてはなりません。
 続いて今度は、単語の意味付けの作業に入りました。
 その作業方法は、まず、さまざまなワインの香りを比較しながら、共通した香りと異なる香りに分けます。そして、同じ品種のワインをテイスティングしながら見つかった同じ香りは、その品種の特性からくる香りである可能性が高くなります。また、同じ地区のワインに見つかる同じ系統の香りは、その土地の特性であることが考えられます。
 異なる香りが見つかれば、それらは、醸造方法の違いなのか、または、土地の違いなのか、もしくは、品種が違うのか、あるいは、ヴィンテージ(収穫年)が違うのかを想像し、他の比較サンプルを試しながら、再び同タイプの香りを確認し、ある醸造方法による香りであるとか、あるタイプの木樽の香りであるとか、特別な気候風土がもたらした特徴なのか、といったことを認識していきます。同じメーカーのワインでも同様です。
 そして、このように意識をしながら、ワインから、そして、ワイン以外の多くの物の香りを嗅いでいるうちに、いつしか、嗅覚のレベルが高くなってきたことに気づきました。(101-102ページ)

 たぶんワインの香りを嗅ぐことを意識し、分類しながら言語化し、記憶しているうちに、潜在意識のなかにあった森で感じていた香りの記憶までが言語化され、より鮮明に浮かんできたのだと思います。
 僕は、まさに言語化が、新たな感覚を作り出し、過去に記憶した感覚を蘇らせるという経験をしていたのです。ですから、読者のみなさんも、「僕は、感性がないから」などと言ってあきらめることはありません。言語化を積み重ねていくことで、感覚も養われていくと思います。(105ページ)

 人は、何かの機会に、ふと過去の嗅覚やそのほかの感覚の記憶と出会うことがあると書きました。これは、とても豊かな人生の経験です。しかし、過去にそういった記憶がまったくなければ、出会うこともできません。というわけで、子供の頃に五感を使って得た経験を記憶にとどめておくことは、とても大切なことです。
 僕の場合、ワインの香りを嗅ぐことを意識していくなかで、子供の頃の情景が次々と蘇ったと書きました。今では、そういう環境を作ってくれた親に心から感謝しています。
 そういう意味では、子供たちの五感を活かす場面をできるだけたくさん作ってあげられるかが重要になってきます。とくに三歳から一〇歳ぐらいまでの間に、子供にそういった環境を与えることは、親に課せられた任務ではないかとさえ思います。
 山遊びや海遊びをまったくしていないよりは、一回でも経験していたほうがよいに決まっています。子供にしてみれば、一日中部屋にこもって、テレビゲーム三昧のほうが楽しいと言うかもしれません。親にしてみれば、子供が一番楽しいと思うことをやらせてあげたいと考えるでしょうが、そうではないのです。(108-109ページ)

 そして、お客様の感動を呼ぶ優れた料理人とは、頭のなかで味を描けるかどうかで決まります。味を描くことができなければ優れた料理はできません。
 「味を描く」とはどんなことでしょうか。
 優れた料理人が新しい料理を創作するときに、まず頭のなかで、イメージをふくらませます。この食材にどのような調理法を使うのか、そして、あの調味料を組み合わせたらどうかとか、あの二種類のスパイスをブレンドすると、ああいう香りと味になるから、あのソースと合わせて使うのはどうだろうか...という具合に考えているのです。
 実際に、キッチンで組み合わせて調理してみて、合わないから、次の食材...とやっているわけではありません。そんなふうに試作をして味見をしているような料理人では腕がいいとはいえません。これは、ソムリエが一本のワインを判断するために、何十本ものワインを開けないのとまったく同じです。(136-137ページ)

 五感のセンサーでキャッチした感覚を言葉に置き換えて記憶するというテクニックは、ソムリエの世界に限らず、普段の暮らしのなかでも応用がききます。とくに食べ物に関心のある方には有効な方法で、言語化して記憶することを積み重ねた結果、料理ブログやツイッターなどの表現力をのばすことに抜群に効果を発揮するはずです。(140ページ)

 この三日間の授業のまとめとして、僕は、「嗅覚が加わることで、お弁当の香りの絵のように想像力がとても豊かになります。人間は五感で感じることができ、五感を有効に使って感じることで発想力や想像力が広がり、心豊かになれると思います。今の時代は五感のなかでとくに嗅覚が衰えているので、もっと嗅覚を鍛えましょう」という話で締めくくりました。その後、生徒たちや親ごさんたちからも、授業の感想が書かれた手紙をいただきました。(148ページ)

 意外に思われるかもしれませんが、人間の五感のなかで唯一、鍛えやすい感覚が嗅覚だと思います。それは、使ってない分、キャパシティもあると考えていいのではないでしょうか。
(中略)
 その点、嗅覚に関しては、鍛えられる可能性が高いと思うのです。それには、意識をして嗅ぐことが大事です。その場合、においを嗅ぐのではなく、香りを嗅ぐことを---嗅覚で、いいイメージを感じることを習慣づけましょう。
 そのためには、嗅覚を普段の暮らしから意識することをおすすめします。(160ページ)

 食事の時間以外で五感を鍛えるのに、より具体的なトレーニング法でおすすめしたいのが、「湖トレーニング」です。たとえば、休日にどこかの湖を訪れたとします。五感で感じているという意識ができる以前は、なんとなく「きれいな湖」という、ひと言で済ませていたかもしれません。それをもう少し深く、五感を使って、表現するトレーニングをしようというわけです。
(中略)
 これらの印象を五感それぞれに分類して説明してみましょう。
【視覚】湖畔を見渡すと景色にはどんなものがあるか。湖面に映るものは何か。
【聴覚】鳥のさえずりや風の音など、耳に入ってくる音を聴いてみる。
【嗅覚】花や植物、土や空気など、それぞれがどんな香りを放っているのか。
【触感】肌に触れる水や風の感触。周囲に生える木々や湖畔の砂利に触れてみる。
【味覚】湖に生息する魚や、近くの山々に育つ山菜やキノコなど、その土地のものはどんな味なのか。
 このように、五感を総動員することで、これまでは色や形だけで見ていた湖の、見えていなかった面が次々と現れてきます。物事を一方向だけではなく、多面的、多角的に分析して言葉で表現しておけば、記憶にもとどまりやすいのです。後日、だれかに説明する際にも、聞き手のイメージが大きく広がるように話すことが容易になるでしょう。(166-168ページ)

 そして、シャーベットだけでなく、すべての食べ物や飲み物をもっとおいしくいただくためにも、フレーバーを感じとりながら食べる習慣をつけたほうがいいのです。比較的身近なものでトレーニングしやすいのは、ミックスのフルーツキャンディです。色を見ないほうがいいので、目をとじて、口に入れ味わいながら香りも意識します。ワインのテイスティングのように、キャンディを口に含みながら、口から空気を吸い込み、その空気を鼻から抜くと、キャンディの香りを含んだ空気が逆流しながら鼻腔の嗅覚のセンサーを通過し、よりはっきりとフレーバーを確認できます。ずばり当てるためには、味覚・嗅覚で感じられるフレーバーで当てるわけです。味覚・嗅覚の感覚を磨いていないと、当てられません。(184-185ページ)

 五感が鍛えられ、言葉が増えていきます。しかしながら、これだけでは、まだ完全な表現力を身につけたとは言えません。表現上手になるには、もうひとつ重要なポイントがあります。
 それは、基本形として、すべてポジティブに表現すべきだということです。
 ヨーロッパの評価方法では、どんな子供でもいいところがあるという前提で個性をのばしていくのが親であり、学校であるわけです。つまり、何もないゼロから始めて、いいところをどんどん加点の対象としていく方法で、評価します。
 それと同様に、どんなワインでもどんな食べ物でも、いいところがあるという前提で表現したほうがいいと思います。ですから、「クセ」というのではなく、「個性」としてとらえることから始めてください。人の性格の表現でそれを考えると、たとえば「しつこい」を「ねばり強い」、「落ち着きがない」を「活発」と表現するぐらいでいたほうがいいでしょう。(191-192ページ)

 それはソムリエの世界と何ら変わらないはずです。これまで本に書いてきたこと、僕が表現力を磨くためにやっていることを簡単にまとめてみましょう。
・紋切り型の表現や先入観を捨てること
・五感をひとつずつ意識して使うこと
・日常生活(とくに食事の時間)が五感トレーニングの場であると強く意識すること
・五感で感じたことをそれぞれ言葉に置き換えていくこと
・言葉を増やし、分類して言語化し、記憶すること
・相手や状況に合わせて、より受けとりやすい、適切な表現を選ぶこと
・基本は、ポジティブなものの見方に立って表現すること
 こうやって箇条書きにすると、大変そうですが、最初は、その人に合わせたレベルでやっていけばよいと思います。すると、明日からすぐに始められるのではないですか。続けていけば、あなたの人生が見違えるように変化していくはずです。ぜひお試しください。(203-204ページ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?