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「独学の地図」

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「独学の地図」(荒木博行 東洋経済新報社)

ビジネスパーソンの学びや教育に携わり続けた著者による、学びを自らどうデザインするかについての本。いわゆる勉強法やハウツーの本ではなく、学ぶための方向性や軸を明確にするための考え方について述べている本である。やや自分語りが多いかなという印象は受けたが、「良い学び方」は「良い生き方」につながっていく(8ページ)や、学びというのは非日常的な空間で義務的にやる苦しい作業ではなく、生きている限り、日々そこにある日常的な営みである(224ページ)など、学びについて考え直す上で興味深い本であると思った。

 どんな平凡な知識であっても、その周りにはたくさんの疑問がくっついているのです。知り得た知識からちょっとだけ右に左に、もしくは上や下に視線をずらしてみる。
 それだけで、自分にとって面白そうな疑問が見つかる可能性は高まるのです。
 しかし、このフレームはかなり概念的です。
 「わかったようでわからない」と感じられたかもしれません。
 もしそうであれば、残るアドバイスは一つ。それは、まずは余計なことを考えずに動くこと。そして、その後に振り返って自分の心に何が動いたのかを探すこと。これ以外にありません。手足が動いていないところに、疑問は生まれないのです。(40ページ)

 私たちは自ら問いを立てるということに慣れていません。だから、素朴な疑問が頭に浮かんだとしても、それを外に出すことに躊躇してしまいます。
 「この問いは、はたして良いものなのか?」
 「この問いを追究することに意味はあるのか?」
 「こんなレベルの問いを掲げるのは恥ずかしいことではないのか?」
 「こんな問いは誰かが知っていることではないのか?」
 疑問が浮かんだ時に、多くの人の頭の中ではこのようなノイズが渦巻いているはずです。そんなノイズを追い出すためにも、素朴な疑問は「壊れもの注意」として慎重に扱うべきなのです。
 つまり、「興味さえあれば、それだけで良いのだ!」と、無条件でそのまま受け入れるのです。(44ページ)

 では、「学び」の本質とは何なのでしょうか?
 それは、一言で言えば「経験の前後の差分」です。(58ページ)

 たとえば、書籍を読んだ後など、私は実際に一人でこの削り出し作業を行います。そのステップを整理してみましょう。
 STEP 1 素直に感じたこと(=感想)をアウトプットしてみる
 STEP 2 「それっぽい一般論」がないかチェックする
 STEP 3 「自分だけの具体論」に変換する (64-65ページ)

 たとえば、イベントに参加したのなら、その時の出来事を丁寧に描写するだけにとどめる。本を読んだのだとしたら、そこで重要だと思った箇所を抜き出すまでにしておくのです。
 そこからの「経験前後の差分」という解釈は、その時点では保留状態にしておく。
 そして、その経験の意味を深く考えられるような環境になった時、もしくはその経験に意味づけできるだけの言語を獲得できた段階(多くの場合は、不意に訪れるその瞬間)で、言葉にすればいいのです。(75ページ)

 裏を返せば、スケジュールが設定されないということは、学びの総量が定まらないため「あれも、これも」と散漫になってしまう可能性があるということでもあります。
 他者が介在することで、スケジュールが設定されるからこそ、その逆算で学びの総量が定義される。だからこそ、その総量を踏まえたメリハリのある学びを獲得する、という思考スタイルになるのです。(86ページ)

 他者を巻き込んだ場を設定することに、常に怖さを覚える人もいるでしょう。
 「他者に話せるレベルではない......」
 「他者に教えられることは何もない......」
という言葉が出てきてしまうかもしれません。
 しかし、そこは認識をちょっと変えてみましょう。理解したから他者に語るのではなく、他者に語るからこそ理解するのです。
 語る内容が浅くても、完成されていなくてもいい。それは学びの過程に過ぎないのです。(89ページ)

 私は、このように報告のアウトプットを考える過程で、人前に立つ前には「資料から考えるな。参加者の終了後と開始前の差分から考えろ」という(超当たり前なのですが忘れられがちな)学びに自らたどり着きました。(94ページ)

 では、この自己批判筋はどうやって鍛えるのか?
 私がおすすめしたいことは、「自分の中に他者を飼う」ということです。
 自分が師と仰ぐ人、ちょっと変わった意見を言う人など、自分にない視点を持つ人の発言をストックしておくのです。
 そして自己批判の際、「あの人だったら何と言うだろうか?」という問いを向け、その発言を記憶の中から引っ張り出してくるのです。
 そこで登場する他者は、自分との関係が遠ければ遠いほど良いでしょう。(114ページ)

 では、この具体化筋はどう鍛えたら良いでしょうか?
 それは、抽象化筋トレとは逆に、同じ、あるいは似ていると見られるものの二者の間にある本質的な違いを見つけることです。
 手っ取り早いやり方としては、落合氏にならって、ある人の変化を発見すること。(129ページ)

 ビジネスパーソンが何を学ぶべきかを考える際に必ず聞かれる問いは、「あなたは将来何になりたいのですか?」「あなたの志は何ですか?」というものです。
 まずは自分が行き着きたいキャリアビジョンを明確にすることから始まり、そして現状を比較することで、必要な学習項目を明らかにしていく。
 この「あるべきキャリア像」-「現状の能力」=「学ぶべきターゲット」という構造は、ビジネス教育の現場でよく語られることです。
 しかし、このアプローチはもはや厳しいと言わざるを得ません。
 なぜならば、そのロジックの出発点となる「キャリア像」の賞味期限が日に日にみじかくなっているからです。(143ページ)

 最初にキャリア像を決めて、逆算で学ぶべき内容を調達するのではありません。そのスタイルはこの流動的な社会には適応しにくい。
 なるべきもの、なりたいものは後からひらめいてきます。だから、その時のために、今はパレットを整えておく。
 これが、メンタルパレットという概念からヒントを得た「ラーニングパレット」のコンセプトです。(145ページ)

 しかし、学びを棚卸しする上で大事なのは、肩書きではなく、経験です。
 肩書きを「名詞」とするならば、経験は「動詞」。
 もし肩書きが何一つ変わらなかったとしても、日々その肩書きの下で多くの経験を積んでいるはずです。(149ページ)

 もう一つ大事なことは、経験からの学びに単一の正解はないという認識を持つことです。
 過去をどう意味づけるのかによってその学びはいかようにも変化します。
 こういう経験をしたのであれば、こういう学びがあるはずだ、という固定的なものはありません。(163ページ)

 「空欄のままのところが目立ってきた」という記述がありますが、そもそも「空欄があることに気づく」のは、欄という仕切りがあるからなのです。
 欄さえなければ、その「空欄」は存在すらしなかった。つまり、普段は見えていないものの存在をあからさまにすること。これがレンズを定義することのもう一つの意義です。(174ページ)

 しかし、何をどんな順番で学ぶべきか、ここに統一的なルールは存在しません。何を学んでも良いし、何から始めてもいいのです。
 あえて一つ言うならば、頭で考えた「学ぶべきこと」ではなく、心が求める「学びたいこと」に焦点を定める、ということです。(199ページ)

 ここまで純粋知的欲求の重要さを強調してきました。では、どうやったら純粋知的欲求は起動するのか。つまり、「その領域を学びたい!」というスイッチはどうやって入れるのか、という点についても触れておきたいと思います。
 ズバリ、その答えは、自分の中に無自覚に存在する「矛盾」に気づくということです。(207ページ)

 ジャックと1 on 1で交わしたたった30分のミーティングは、私の人生の進行方向を変える力があった。事前に全く期待したわけではなかったのですが、最後に残ったのは"Hiro, what are you doing when you're sixty? Who will you be with and what will you be seeing?"(ヒロ、お前が60歳の時、何をしている? 誰と一緒にいて、どんな光景を見ている?)というジャックの問いかけでした。(212ページ)

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