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「師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常」

「師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常」(杉本昌隆 文藝春秋)

藤井聡太八冠の師匠の著者による、週刊文春の連載記事を集めた本。藤井聡太の話はもちろん、将棋界のエピソードを面白く書いている。藤井さんの師匠ということで有名であるけれども、この方は非常に文才があると思った。師匠として、現役の棋士として、さまざまなことを時に自虐的にユーモラスに書いている。読んでいて楽しかった。

 対局や研究会以外で自ら「忙しい」と言うのは、自分の不勉強を露呈しているのと同然なのである。
(中略)
 最近の私、自分の対局予定に加え、藤井竜王のそれも手帳に書き込んでいる。その日は忙しくなる確率が高いからだ。
 たまに書き込んだことを忘れることがある。
 (おお、今月はこんなに対局が沢山ある。我ながら活躍してるな、ってこれ全部藤井君の対局予定か...)
 竜王の忙しさが理解でき、世間のマネージャーや秘書の心境も知ることができるのだ。
 このエッセーが掲載される頃、今年の私の公式戦は終了しているはず。とはいえ、仕事納めってことは全然なく、会議や研究会、原稿の締め切りも勿論ある。
 棋士たるもの、対局以外で忙しくしているようではいけない。しかし忙しいくらいでないと自分の存在意義がない。理想と現実の距離は、いつまで経っても縮まらないのだ。(102-103ページ)

 将棋の上達法で昔から言われるのは実戦、棋譜並べ、詰将棋の三つである。ネット時代でその方法も細分化したが、根本は同じ。今回はそのうちの「実戦」について述べよう。
 将棋でもっとも楽しく、また上達にも繋がるのは対人戦である。これは初心者から有段者、私たち棋士にも通じる普遍的なもので、王道の勉強法ともいえる。
 ①街の将棋道場へ通う(時間のある人向け)
 様々な棋力の人たちが集まる将棋道場は実戦を多くこなすには最適。楽しみたいなら同レベルの相手と、強くなりたいなら自分より少し棋力が上の人に教わるのがコツである。
 役に立つのは、対局後にお互いが指し手を振り返る感想戦。人とのコミュニケーションも楽しむのが将棋道場なのだ。
 ②インターネット将棋(忙しい人向け)
 現代人はやることが多い。仕事後に将棋道場に向かう、それだけでもある程度の労力が必要である。
 (今から食事を済まして道場に着いたら閉店二時間前か、電車代も掛かるしコロナも収束していないし...今日はやめておくか)
 そんな方にお勧めはインターネット対局や携帯の将棋アプリだ。これは「いつでも」「どこでも」楽しめるのが最大の魅力である。
 多くの人は対コンピュータ戦から入るが、慣れてくると対人戦に移る。レーティングや段級が上がるのも面白い。間違いなく、将棋ファンの増加に一役買っている存在であろう。
 リアルとオンライン、どちらにも長所があるが、今より一段階上の棋力向上を望むなら量より質。ときには普段の対局を減らしてでも、検討に充てる時間を増やしてはいかがだろうか。(116-117ページ)

 AI(将棋ソフト)を使う研究が盛んである。人対人の研究会でも、将棋盤を挟んで、ときにこんな会話が聞かれる。
 「これは(AI評価値で)プラス五百でしょう」
 「この一手で三百点ほど溶かしましたね...」
 双方がパソコン場面を頭に思い浮かべて会話をする。それほどまでに浸透しているのだ。
 棋士たちのAI活用法は多種多様だが、代表的なやり方は以下の三つである。
 ①自分の将棋の研究(予習、復習)
 ②対戦相手の分析(傾向と対策)
 ③最新将棋の情報収集(時流に乗る) (152ページ)

 さて、棋士宛のファンレターやプレゼントが届く東西の将棋会館。かくいう私もそれなりに手紙等をいただく。プレゼントにはほとんどの場合、このような一言が添えられている。
 「師匠と藤井さんの二人分です」
 「お弟子さんと分けてください」
 「藤井さんに渡してください」
 ん? 最後の言葉はバレンタインデーのときもあったぞ。師匠とはマネージャーの役割も兼ねるのだ。(185-186ページ)

 個人差はあるが、棋士は忘れ物をする人が多いと思う。思考のリソースを将棋に割り振りすぎるからで、もう職業病のようなものだ。(210ページ)

 私も十代の頃は、将棋以外のことをしていると罪悪感すら覚えた。人と会っても本を読んでも、頭に浮かぶのは常に「それ」だった。
 (この人の考え方は自分の将棋に役立てられないか?)
 真っ先に将棋と結びつけたものである。
 さて、最近の私。
 (お、この会話は文春のネタになるな。って、ああ、自分の職業は一体何だ?)
 将棋より先にこちらが出てきて自己嫌悪に陥った。とはいえ、しっかり手帳に書き留めて、今後のストックにしているのである。
 それをある人に話したら、こう言われた。
 「それは杉本さんも立派な(文章の)プロですよ」
 自分の中では二刀流だが、それも本業あってのこと。軸がぶれないようにしなくてはね。(246ページ)

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