賛成or心配

ずっと不調だった、酒を飲みたいとは全く思わなくなるほどに。
好きなはずの料理はおろか、食材の買い物すら行きたくなくなるほどに。
「コンパクトカメラなのに望遠がかなり効くカメラとか、いよいよGoProとか」が届いたのに、開封する気力がないほどに。

風邪を引いて、軽快したと思ったら、また風邪を引いて、咳や鼻水はおさまりつつあるのに倦怠感が抜けないなど。

その間に息子関連で細々とした事案がいくつか起きて、発熱がないのに寝込むほどの疲労困憊ぶりであった。

そんななか、学校公開があった。

学級会。クラス対抗のある競技について、どうやったら勝てるか、という議題。まずはお互いの顔が見えるよう、机を移動。

案がいくつか出た後のことである。これからそれぞれの案に対し意見を出し合うという場面。「賛成か反対か」ではなく、「賛成か心配か」という選択肢であった。

もちろん、賛成でも心配でも、「なぜそう思うか」ということもできる限り言葉にして発言する。

「反対」ではなく「心配」とするのが、いまの学校教育のトレンドなのだろうか?すごくわかりやすいと思った。腑に落ちる。

確かに、何かに賛成できないとき、何かしらの不安点があるから賛成ができないことが多い。自分の意にそぐわない何かというのは、ときに、得体の知れない不安に覆われていることもある。

私は高校時代からの「シャーロック・ホームズ」シリーズの大ファンである。映像化されたものでは、グラナダテレビ版しか今のところ受け付けない、なぜなら「あれ以上のドンピシャの配役になっているだろうか」という不安が残るからである(日本語版吹き替えの露口茂の声もドンピシャであったし)。「まだらの紐」だっただろうか。何が危険かわからないときが最も危険で、何が危険かはっきりしたら、もう危険な状態は過ぎ去っている、というようなことが書かれていたと思う。得体が知れた時点で、不安はなくなるということだろう。

特に小学生にとって、「賛成or反対」ではなく、「賛成or心配」で意見を出し合うって、いいなと思った話でした。

おう、今日は特価ワインを飲めるくらいになったから、完全な復調も近いはずだ!心配な日々は過ぎ去った。どんどんと成長していく子供たちからエネルギーをたくさんもらったんだと思う。

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