Perfect Days

見に行った。以下、ネタバレも含むことになると思うので、見ていない人にはぜひこんなものを読まずにまずは映画館に足を運んでいただきたい。

今80代の私の母の最後の職業が清掃員だった。あの人は、高校を卒業したのち、非財閥系商社から始まって、いろいろ事情があって転職が多かった人だ。彼女が、厚生年金記録を私に見せながら話していたことだが、「当時の多くの女性は、最初の会社でこの欄が終わっていた」。

私を身ごもり、結婚して専業主婦になった。でも彼女は忙しかった。彼女がいなければ、彼女の夫が存分に仕事できないだろうというくらい。彼女が家で座っている姿をほとんど見たことがない。でも、彼女はそういう生活に満足していた。

いろいろあって、彼女は離婚した。18歳になろうとしていた私が「これでは大学に行ってやりたい勉強もできないから離婚してくれ」と懇願してのことだ。正規ルートを辿らなかったので、彼女の夫がバリバリ有責であったが、慰謝料も財産分与もなく、学費等の支援も一切なく、文字通り「縁切り」した。(おう、勢いで書いてやろうか。だから、大学と大学院在学中は、どれだけ大学から金を貰うか(授業料を無料にするか)だけを考えていたぜ。そのためだけに勉強しているだけじゃないかと思ったとき、むなしくなって、その証書類とかを泣いて破ったこともあったが、その話をしたら、友人が「どういう動機であっても、それでやり遂げたことは素晴らしいのではないか」と言ってくれて、私はずいぶんと救われた)。

・・・とまあ、書いていくと、長くなるから端折ることにするが、彼女の最後の仕事が、某会社の自社ビルの清掃員だった。その1つ手前の仕事が「看護助手」という仕事で、そこを定年退職してからのことだ。その病院でも、嘱託か何かで、仕事をしてほしいと言われてたらしいが、「人を相手にする仕事には、年齢的に自信がない」と言って断ったらしい。

清掃業をしているときは、「相手が物だから楽だ」と言っていた。Perfect Daysの平山のように、彼女も職人気質のところがあって、どうやったら効率よくかつきれいに仕上がるかをいつも考えていたようだ。

また、なぜか毎週決まった曜日にトイレが汚れているから、これはその会社の人に言うべきか悩むこともあった。また、部長級の人が出勤後にゲームばっかりしているとか、錠剤などが転がっていて「もったいない」と言ったりとか。物を相手にしている割には、人間観察も怠らなかった。

彼女もしゃべるのは苦手だ。というかしゃべるのが嫌だし、べらべらしゃべる人の話を聞き続けるのもなかなかの苦行のようだ。そして、彼女の趣味は読書。私からすると「文字しか読めない」とも言いたいが。

彼女の居所は整然としている。決まった物を決まった場所に、というのは、念仏のように昔から唱えられてきた。私はそれができず、ずいぶんと叱られたものだ。

今回のPerfect Daysは、もちろん作品としても役所さんの演技も本当に素晴らしかったけれど、それ以上に、細かな行き届いた演出に舌を巻いた。ものすごくリアルだった、平山の生活が。端から見たらルーティン化した毎日だけど、本人はとても幸せ。だけど、ときどき、それがちょっとかき乱されることもある。

最後のシーンは、そうした毎日と感情のすべてを集約していて、余韻の残る映画だった。

それと・・・。最近何周も読んでいる『ファブル』ね。トイレ掃除とか風呂掃除とか、多くの人が嫌がることだけど、そういう日常を重ねて、何でもない朝を迎えることの良さというのも描かれているのだけど、今回のPerfect Daysを見ているときに、『ファブル』のそういったシーンも思い出した。

もう1回見たいな。

そうそう、Otis Reddingは、私の母が大好きだったアーティストのうちの一人だ。“(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”が映画の中で流れていたと思う。

母と逃げるように家を出るとき、彼女の貴重なLP群を置きっぱなしにしてしまった。彼女は、逃げるときの荷物のリストが、引っ越しの最中に見つからないと言っていた。引っ越し先で段ボールを開けたら、その中に入っていたときに二人で大笑いした。けれど、それもただの大笑いじゃないんだよね・・・。

「置いてきたのは悔しいけれど、いつかは別れなければならないものだし」と、私の母は言っていた。そう言いながら切り替えようとしていた。

多分、彼女の元夫は、残された分を一般的なやり方で処分した(売り払った)だろうな。そういうことでカネが手に入ることに幸せを感じる側の人間だった、私の父親は。

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