摂食障害と性依存とわたし

タイトルを何となく「部屋とYシャツと私」みたいな柔らかい雰囲気を出そうと思ったがどうにもならなかった。こんにちはFieldsです。

先週から思うところあって摂食障害の自助グループ(OA/オーバーイーターズ・アノニマス)に参加している。元々、性依存症や恋愛依存症の自助グループ(SAなど)に繋がっていて、スポンサーについてもらい12ステッププログラムを実践している。おかげで回復が進みスポンシーがつくまでに至ったのだが、回復の様子についてはアライさん界隈で発信しているので、そっちのTwitterとnoteのアカウントを参照願いたい。

性依存と恋愛依存の治療で摂食障害は気にも止めていなかったのだが、あるミーティングで同じグループの仲間が「問題あるとも思えないが問題を否定できない」ことを話していた。OAへの参加の直接のきっかけはそれなのだが、確かに僕自身にも摂食障害について思い当たるところはあった。
そしてOAのミーティングに参加して確信した。もう騙せない、自分は摂食障害だと認めなければならないと。この病気を認めないと性依存の治療も止まってしまうことは疑いようがなかった。

摂食障害というと過食嘔吐と拒食ばかりが注目されやすいが、僕の場合は過食と異食である。診断はされていないが、調べてみると診断基準がなく診断されにくいものだという。確かに摂食障害じたいで苦しんでるわけではないが、これに起因して性依存に陥った事実が確実にある。そしてこれに長年苦しめられてきたことも事実なので、そこから目を逸らすわけにいかなくなった、というところだ。
診断はないが、自助グループ参加は当事者であれば診断の有無は関係ないので、問題ないものとして書かせてもらうことにする。

性依存と摂食障害が同じ原体験

僕が性依存になったのは9歳(小学3年生)の頃で、その歳で法律に触れる問題行動を既に繰り返していた。この異常な行動の原因は6歳(小学1年生)の頃に遡り、ADHDとASDの発達遅れに伴う「鼻をほじって食べる」行動が治まらなかったことにより、学年中の女子からいじめられた。これが原因でわずか6歳にして重度の女性不信になってしまった。

僕の成長は6歳で止まった。小学2年生の頃には既にハッキリと「女は敵」と認識していた。思考停止しているので鼻をほじる癖はなくならなかった故に小学校6年間に渡って女子にいじめられ続けた訳だが、女性不信の強化によって居場所をなくし、問題行動に耽溺するようになった。自分の居場所が問題行動しかなかった。

小中時代はいわゆる給食大王のポジションだった。ご飯と煮物が出てきたら迷わずかけるのが決まった食べ方で、鉄板は肉じゃが、次点で筑前煮という感じのゲテモノ食いがデフォルトである。ご飯に味噌汁をぶっかけるなど普通すぎて他の皆がドン引きする意味が理解できなかった。性依存以外の居場所が給食だったので、その居場所を奪おうとする周りの行動を頭が理解を拒絶していたと言ったほうが正しいかもしれない。
僕自身は好きでやってた(そこからしておかしいのだが)けど、見た目は残飯で社会通念上は食べ物ではないものを食べていると考えると、理屈で考えてようやく異常だったと認識したのが最近だった。
中学では「同じ給食費を払ってるのが馬鹿らしい」と言われたものだが、いや払ってるのお前じゃねえだろというツッコミはともかく、食べることに関してはまぁ異常な執着があったような気がしている。

食育虐待から反フードロスへ

過食については別に原体験がある。僕の父親は今にして思えば何かこう学歴コンプの塊みたいなもので、教育と食事には異様に厳しかった。中でも出されたものを残さず食えというのは、ASDで偏食傾向のある僕には到底耐え難いもので、更に僕は典型的なトマト嫌い(トマト嫌いあるあるまとめを参照)なので苦痛以外の何物でもなかった。吐くまで無理に食べる行動が子供の頃には多かったし、学校の給食でも嫌いなものを無理に食べてテロを起こしたことが一度や二度ではない。寧ろ多すぎて替え歌まで作ってしまったほどだ。周りはドン引きしていたが。
家庭での食育虐待により僕はフードロスが嫌いになり、会食で残ったものは強迫的に食べるようになった。僕の過食に嘔吐が伴わない理由は、何よりもフードロスが怖いので吐いたら食べた意味がないからだ。だから吐く発想がないのだ。恐らく自転車でUberEATSやってても痩せない理由がそこらへんにあるのだろう。

失敗した料理は捨てずに責任を持って全部食べる、期限の切れた食材は腐っててもなんとか加熱して味変して食べる、実家の冷蔵庫で期限が切れた食べ物は「所有権が家族から自分に移った」と解釈して食べることが喜びだった。そういう食べ方を実家にいる頃からしている。「自分が食べないと捨てられる」そういう強迫観念で半額惣菜を買うことは今でも多い。とにかく食べ物を捨てるということが到底考えられない。

摂食障害と性依存のクロスアディクト

複数の依存(addiction)が併発していることを12ステップ系の自助グループではクロスアディクトと言うが、幼少期の僕の過食と異食が女性不信を助長したことは紛れもない事実だ。そしてその原体験が性依存症からの回復の足枷になっていることにようやく行き着いたのだ。
異食と性の問題行動は恐らくセットになっていた。食べては女子に嫌われて性の問題行動に行き着くことがルーチンで、小学生の頃は休日に問題行動スポット開拓とエロ本立ち読みエリア調査がライフワークだった。それを異常だとも思わなかったし、それだけが癒しだった。

現在ではどうなっているか。女性の好みが変わってしまった。自分が嫌われずに安心して(強迫的に)食べられるという意味で、食べる女性を好むようになった。逆に言えば、痩せている(食べない)女性は自分の食べ方に絶対に理解を示さない敵という認知の歪みである。自分の強迫的な恋愛遍歴はだいたいそんなものだった。
治療が進んでいる今でも基本的に女性不信は変わらない。もちろん信頼できる人もいることは理屈で分かるようになったがそこ止まりである。食べる話を分かち合える女性でないと安心できないのは困ったところで、クロスアディクトではないがそれなりに深刻な事態ではある。

性依存と摂食障害への新しい向き合い方

いま僕は性依存と摂食障害をセットで考えて向き合い方を変えなければならないターニングポイントに来ている。その行動がOAのミーティング参加であったり、おちゃづけさんの本を読むことだったりしている。

僕は摂食障害は「依存症」だと認識しているので、自助グループ(特に12ステップ系)と毒親に関する事柄がほぼ無いのは残念だったかなというところだが、考えてみれば未成年が自助グループに繋がるのは困難なことと身体面の健康を取り戻すのが先なので、まあ仕方ないのであろう。
要するに僕の期待しすぎだった。小学1年生で摂食障害になった、しかも男性というレアケースはそうそう無いだろうから同じ境遇を本に求めるのは無理があったし、それでガックリするのも違うんだろうなと思う。
ただ、12ステップがそもそも繋がりづらいピアサポートであることを思うに、医師やカウンセリングに繋がることは摂食障害には本当に有効なことなのだろう。方法を模索するにはこの本が有効な手立てになるだろうという気はした。

思うに、摂食障害と性は思っていたよりも密接に結びついている感がある。きっかけが恋愛であることは多く、身体面では生理とも関係が深い。性教育YouTuberのシオリーヌさんも摂食障害を持っているそうだが、摂食障害と性は切っても切れないものなのだろう。
このことは性依存症と摂食障害が依存対象を完全に絶てない点で共通してることからもよくわかる。性依存症の自助グループ(SCA)と摂食障害の自助グループ(OA)には回復計画のワークがあることも共通している。完全に絶てないから自分でシラフを定義するしかないのだ。

摂食障害と向き合えた時にはまた世界が変わっていくのだろう。今そんな気がしていて改めて本腰入れて12ステップに取り組んでいる。現在ステップ6だが、当面の目標はステップ9に達して、とある自転車屋さんに赴くことである。

9. その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。

この日を迎えるのはいつになるだろうか、今はそれをハイヤーパワー(自分なりに信じた神)に委ねるのみである。

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