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ワーカホリックな20代を見つめ直す

産後数週間は、育児の洗礼をうけながら、感じるところも多く、書きたいことが湧き出る感覚があったが、ここ数日間なんだか気力が無かった。

言葉にできないことは考えていないことと同じと、いつか読んだ本が謳っていたが、頭のなかに言葉が浮かばないと本当に思考が停止してしまうものだ。恐ろしいことに、妊産婦は、お産の痛みを忘れるためにぼーっとするホルモンが出るとか出ないとか(マザーズブレーンと言ったか?)。

今回は、だったらば、と、反対に「考えるため」に言葉を紡いでみるという作戦だ。

仕事人人生の句読点

新卒で就職してから、どちらかといえばハードワークしてきた方だと思う。立ち返れば、高校生の頃から学業には一生懸命な方だった。放って置くと私は、「今」「この瞬間」の自分の魂が喜ぶことよりも、「いつか」「どこか」の自分のための投資に時間を使ってしまう性分なのだ。これまでの人生前半戦においては、それが実を結んできたわけでもあるが、20代なかばを過ぎたあたりから、ダウンサイドもあるなと自覚し始めた。それを顕著に感じているのが産前産後の今だ。

フリーランスや自営業だと育休がそもそも取れないという苦労を理解したうえであえていうと、私のような性格の人間にとっては、育休という、仕事から完全遮断を余儀なくされる期間はそれはそれで苦しい。子供と向き合う時間が減ってしまう点には寂しさを感じつつも、産後すぐに復職するエピソードを羨ましくも感じてしまった。

それは仕事が、そして仕事を軸とした将来のための「投資」が、アイデンティティの中核になってしまって(?)いるからだと思う。仕事を引き継ぎきって、「次」が見えない中で休みに入ってしまった今。現時点では1年ほど先にしか復帰できる見込みがない今(しかもそれは、あくまで1年のブランクを挟んだあとの「再」スタート、「仕切り直し」である感も否めない)。何をしても(そしてしなくても)不安になる、そういった状態なのだと自己分析している。

仕事を引き算した後にこんなに残るものがない人生って・・・と思ってしまった。そして、せっかくだから、産休・育休機会を自分の仕事、キャリアへの向き合い方、人生における仕事の位置づけを捉え直すきっかけにしたいと思うようになった。アイデンティティとは常に、未来に向かって、自分の行動を通して形成し続けるものだそうだから。

「仕事以外」の活動

思えば、20代半ばに差し掛かってから、特に移住転職し、中長期の視点でキャリアを捉え始めてから、また、住みよい地方都市で多少余裕のある生活を手に入れてからというもの、遊び方、休日の過ごし方、趣味…そんなワードが気になり始めた。

そして素直に振り返れば、学生時代からずっと、遊び方が豊かな人に憧れを抱いて生きてきた。多趣味な人生の方が圧倒的にキラキラしているし、遊び方がうまい大人は総じて仕事が出来る、そんな気がしている。人としての豊かさや深みを感じるからだろうか。趣味や遊びといったものには、「学習性」が伴っていることが大事なんだそうだから、試行錯誤の中に学び、成長の機会があるからかもしれない。何かを始めたいと知人にこぼした際、目標を「失敗することに改めなさい」、そういつだか言われたことを思い出す。

産休育休中は、「いつか」「どこか」の自分の心配には向いていない。体調が万全でなかったり、睡眠不足で考えることも自分の世話すらままならない中、仕事のように強制されないことを実行するのはかなり困難。心配を打ち消すための行動が出来ないとなると、心配ばかりが募って悶々とするのは精神衛生上よろしく無い。これまでの社会人人生において、何か一つやり直せるとしたら、仕事人人生の句読点を打つ前に、なにか自分が自分のために心から楽しめることを始めておければよかったと思う。ワーカホリックなプレママさんたちにはぜひそうしてほしい。

幸い(?)私にはまだ数ヶ月ある。もう少し気力体力が回復したら、子供に負担がかからない範囲で仕事以外のことにも手を出せたらなと思う。きっと産休育休明けの私の仕事人人生をより豊かなものにしてくれると思うから。

まあ、まずは何より、産後一ヶ月、まだ正気でいられていることに感謝だ。(私のケースで言えば本当にそんな次元)

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