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南極経由、宇宙行き。|10年前の南極越冬記

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2009-10、南極の昭和基地で越冬生活を送っていた当時、書き綴っていた紀行文。それらを10年が経ったのを機にまとめたものです。noteの予約投稿機能を使って、当時の日付から10… もっと読む
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2019年12月の記事一覧

外出制限令

#10年前の南極越冬記 2009/7/4ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 今年は例年に比べ、とにかくブリ(ブリザード)が多い。どうも昭和基地では十数年周期での異常気象が起きているらしい、と経験者の間では囁かれていたが、今年もそれがピタリと当てはまったかたちだ。例年12月〜2月の夏場にはブリなんて起きないものだが、僕らは昭和に来て早々、日本の南極観測史上最大の風速47.4m/sのブリを体験してしまった。 ブリには

会えない家族

#10年前の南極越冬記 2009/7/7ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 昭和基地はいまベビー・ラッシュだ。先月のドクターに引き続き、昨日は定常観測隊員の元に日本に残してきた家族から、無事に男の子が産まれたという嬉しい連絡が入った。南極で父となり、少し照れ臭そうに酒を飲むその横顔は、喜びと安堵でいっぱいのように見え、周りにいる僕らまで幸せな気持ちにさせてくれる。独り身の僕にはその気持ちは分からないけれど、妊娠した

掘れど楽にならず

#10年前の南極越冬記 2009/7/12ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 7月9日に太陽が少しだけ顔を覗かせた。本当ならば13日の明日が、暦の上では本当の初日出なのだけど、蜃気楼のせいで少しだけフライングしちゃったわけだ。ゆらゆらと、出たり引っ込んだりする太陽の光は、やっぱり格別だ。僕らは太陽と共に生きている、そんな感じがする。 5日もの間、外出制限が出たブリも明け、ここ数日は晴れが続いている。湿った北からの

ふりだしに戻る

#10年前の南極越冬記 2009/7/18ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 相変わらず天気が悪い。今朝までまた外出禁止令が出ていた。この後も、低気圧が列を作って昭和基地に向かっているらしく、20日過ぎまではろくに外に出れなさそうだ。4日間をかけて除雪をした「デルタゾーン」も、昨日のブリであっけなく埋まってしまった。期待していた「風の通り道」の効果は薄かったみたいだ。自然の力には敵わない。 今晩は、はらはらと舞い

南極教室

#10年前の南極越冬記 2009/7/21ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 昨晩、昭和基地のネット回線が一時ストップした。原因は、山口県にあるインテルサット衛星のパラボラ・アンテナの不具合によるもの。集中豪雨の影響で受信が上手くいかなかったようだ。山口県で起こった集中豪雨は、1万4千キロ離れたここ昭和基地にも影響を与えている。ちなみに、このパラボラ・アンテナの設置場所に山口県が選ばれている理由は、地震や台風の影響

海の上に道をひく

#10年前の南極越冬記 2009/7/29ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ いま海氷の上に道を作っている。ルート工作というこの作業は、何も無い氷の大地の上に安全なルートを作るためのもの。二手に分れ、まず先行隊が氷の状態を調べ安全を確認しながら赤旗を立てていく。後発隊は旗と旗との間の磁方位や距離を測り、GPSで旗の位置情報を記録して行く。 海氷が割れてしまい、誤って先行隊が海の中へと落ちてしまう危険があるので、後