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native | FIELD assistant

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NPO法人フィールドアシスタントがお届けする、世界各地の人たちに暮らしの知恵を求めて話を聞くポッドキャスト「ラジオネイティブ(radio native)」を公開中。このマガジンは… もっと読む
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#極地

nativeとは

厳しい環境の中にこそ、美しい暮らしがある これは極地建築家・村上祐資の信念だ。地球上で「極地」と呼ばれる場所は、牙をむいた自然が目の前に迫り、人を容易には寄せつけない。だが、そんなところでも人は暮らしを続けている。日本の南極観測隊はもう60年以上、雪と氷の地で暮らしをつなぎ続けてきた。富士山の山頂で観測を続ける人、あるいはヒマラヤのベースキャンプで登山家を見守る人たちもいる。村上はそんな場所に出かけては、もう1000日以上、暮らしてきた。建築家としての関心は、極地の暮らしのな

極北のフィールドアシスタント(上)

その年の秋、北極探検家の山崎哲秀さんにお会いした。「フィールドアシスタント(極地の案内人)」というNPOに参加した以上、会っておかなければならない人だと感じたからだ。もう30年以上、北極に通い、研究者を案内し続けている。 きっかけは植村直己もう30年以上、北極に通い続けている。毎年冬、おもにグリーンランド北極圏のシオラパルクという村に出かける。肩書は「北極探検家」。犬ぞりの技術など、北極という特殊なフィールドでの豊富な経験をもとに、ここを研究対象として訪れる学術研究者の

越冬を終えて

#10年前の南極越冬記 2010/3/23ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 3月19日に日本へ帰ってきてから数日が経った。シドニー港でしらせと別れ、僕らは空路でひと足先に日本へと戻ってきたのだ。成田で出迎えてくれた、もう間もなく子供の生まれる妹の大きなお腹を見て、15ヶ月という空白の時間を実感した。1年前に昭和で別れ、すっかり普通になってしまった50次夏隊の仲間たちの笑顔が嬉しかった。家族友人、世話になった皆さん

小うるさい経験者

#10年前の南極越冬記 2010/2/12ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 明日13日には昭和基地を離れ、僕ら50次隊と51次夏隊は全員しらせへと向かう。僕らの最後の日は、残される51次越冬隊28人にとっては、本格的な越冬生活の始まりの日だ。一年前、50次夏隊を乗せた最後のヘリを見送ったあとには、急に基地が広く感じられ、「本当に置いてかれちゃったんだな」と寂しく思う反面、「これから自分たちの手で、28人だけの越冬

無停電という誇り

#10年前の南極越冬記 2010/2/1ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 2月1日、僕らは荷物をまとめ住み慣れた基地主要部から夏宿舎へと移動した。天気は生憎のブリザード。荷物が飛ばされないように、ダンプの荷台で数名が重しとなって荷物を押さえながらの引っ越しとなった。51次へ基地を受け渡す準備を全て整えてから、越冬交代式が行われる。例年ならば「昭和基地」の看板が立つ19広場(イチキュウ・ヒロバ、19次隊の時に整地さ

交代の日

#10年前の南極越冬記 2010/1/24ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 気が付けば越冬交代まで残りあと一週間を切った。越冬交代式を済ませた後は、僕らは住み慣れた昭和基地を離れしらせへと移る。僕を含め何名かは、越冬交代後も観測や設営作業の都合で51次からしらせが離岸するまでは基地に残って欲しいという要請があり、しらせでは無くて今51次隊が住んでいる夏宿舎へと引っ越すことになっている。越冬交代以降は、観測や建物の

補給がこない

#10年前の南極越冬記 2010/1/6 ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 12月18日迄に定着氷から51次隊本隊をヘリ輸送を完了し、その後セールロンダーネ隊が居るクラウン湾へ物資輸送に向かっていた砕氷艦しらせ。当初の予定通りであれば、今ごろ昭和基地へ到着し、ヘリと氷上輸送による本格物資輸送が開始されるはずだった。が、しかし肝心のしらせがまだ来ない・・。 この冬僕らを悩ませてくれた記録的な積雪が、昭和基地から約

越冬経験者

#10年前の南極越冬記 2009/12/31 ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ もうすぐ新しい歳を迎える。この一カ月間は、先遣隊に続き新しい砕氷船「しらせ」でやってきた51次本隊を迎え入れるための準備、物資の輸送、引継、そして自分たちが持ち帰る荷物の梱包作業と、忙しい日々を送っていた。 日本に居る皆さんは少し前に仕事納めを済ませ、今ごろ家族と共に正月休みを過ごしているだろう。しかし僕らにとっては、今が忙しい夏本

挨拶がわからない

#10年前の南極越冬記 2009/11/23 ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 11月13日に、51次の先遣隊5人が飛行機で昭和基地入りしてから10日ほど過ぎた。人数が少ないせいもあるが、まるで昔から一緒に暮らしていたかのように、早くも皆馴染んでいる。 先遣隊を乗せたツインオッター機は、ロシアのノボレザレフスカヤ基地からベルギーのプリンセスエリザベス基地を経由し、はるばる昭和基地にやってきたのだが、飛行機がラン

宇宙の果て、距離を測る

#10年前の南極越冬記 2009/11/6 ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 長い1週間だった。年に2回、2月と11月には、僕の担当する地圏部門の大きな観測イベント、VLBI (Very Long Baseline Interferometry) 観測が行われる。このVLBI観測は、昭和基地(日本、東南極)の他に、O’HIGGINS(ドイツ南極観測基地、南極半島)、TIGOCONC(チリ)とKOKEE(ハワイ、カ

賑やかな訪問者

#10年前の南極越冬記 2009/11/2ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 昭和基地にペンギンがやってきた。六羽もいっぺんに。 やってきたのはアデリーペンギンという体長40cmくらいの小型のペンギン。もうすぐ生まれてくる雛たちを安心して孵すことのできるルッカリー(営巣地)の候補地を探しに来たんだろう。 両手を広げて上手にバランスを取りながら、一生懸命にペタペタと前を行く仲間の後を追いかける姿は本当に可愛い。立

雲の時間

#10年前の南極越冬記 2009/10/30 ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 南極は春から夏へと季節が変わりつつある。日照時間は日に日に長くなり、あと一ヶ月もしないうちに白夜になる。気温がまだ低く日射量も多い今の時期は、オゾンホールが大きくなり地上に降り注ぐ紫外線量も増える。一日外にいるとすぐに顔が日に焼けて黒くなるし、うっかりサングラスを忘れたりすると目が痛いし涙は出るし大変な目に遭う。曇っていて太陽が出てい

ふぬけ

#10年前の南極越冬記 2009/10/25 ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 1ヶ月半の野外連チャン生活が落ち着いてから約2週間が経った。長い間基地を留守にしていた分、51次の受け入れ準備や持ち帰り物品の整理、観測データの整理、執筆の依頼など色々と仕事が溜まってしまった。加えて長く続いた緊張生活から解放された反動からなのか、少々フヌケのような状態になってしまったせいもあり、この2週間はちょっとばかり気持ちのコン

遠征ひと段落

#10年前の南極越冬記 2009/10/10ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。 ◇◇◇ 昨日9日ぶりに昭和基地に帰って来た。リュッツ・ホルム湾の奥にあるスカーレンという沿岸露岩帯での観測旅行の帰りに悪天でラングホブデで足止めを食い、昨日も地吹雪の中で行きの雪上車のトレースを辿りながらの帰還となった。 今回のスカーレン旅行をもって、この一ヶ月半続いた連続野外生活もようやく一段落。野外での気の抜けない生活、数日間基地に戻って