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技術者のプライドを守り、深い理解と信頼を培った井深大により創設 〜 技術開発の貢献者に向けた 第1回 『井深賞』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (47)

ソニーが東京通信工業 (東通工)よりスタートし30年を迎えた1976 (昭和51)年、経営機構及び人事を刷新する新体制が新たに敷かれ、次のような発令がスタートします。

 井深 大 取締役名誉会長に就任。
 盛田 昭夫 代表取締役会長に就任。
 岩間 和夫 代表取締役社長に就任。
 大賀 典雄 代表取締役副社長に就任。

そして、取締役会において、

ソニー創立30周年を記念し、ソニー最高の賞

とし、毎年ソニーの技術開発の貢献者に対し与えられる『井深賞』が創設されることが決定。

" ソニーは30年前の5月7日、その設立趣意書にもうたわれているように「技術することを喜びとして...」生まれた会社である。
以来30年間、他社ではできない、他社のやらない数々のすぐれた技術を開発し、世界の人々の生活、文化を豊かにする新しい商品を世に送り出してきた。
ここに創立30周年を記念し、この創業精神をたたえ、すぐれた技術開発上の功績に対し、ソニー最高の賞、『井深賞』を創設、今後の技術開発に顕著な貢献のあったものに贈る。
"

『SONY NEWS 』No.219 より

当時常務取締役だったソニーの技術者・木原信敏は、「ソニー創立30周年」を迎えた1976 (昭和51)年5月7日の創立記念式典にて、井深大より第1回 『井深賞』(磁気記録の開発全般により)  を受賞します。

「ソニーが今日まで成長してきた大きな礎を築いたものであり、うれしく誇らしく思う」

と、井深大は、日本初のテープレコーダー『G型』、

磁気テープ、

トランジスタラジオ『TR-55』、

トランジスタテレビ『TV-8-301』、

そして、『国産第1号機VTR』から始まるビデオ開発の全般にわたり、東通工の時代からソニーの発表してきた殆どの新しい商品開発に携わった木原の功績を称えたのです。

この時木原は、

"「30年間、ソニーは技術でリードしてきたし、私は井深さんや盛田さんの方針を忠実に守ってきたにすぎません。問題はタネ探しだったですね。今も変わりませんが当時も非常にむずかしかった。その時、トップは自由にやらせてくれたし、はげましてくれたのです。今後もタネさがしには苦労するでしょうが、自由にやらせてくれるという雰囲気がソニーに続くかぎり、新しいものがどんどん生まれてくるでしょうね。
今の若い人たちも仕事は苦しいでしょうが、絶対ものになるという "くらいつき精神" でやっていけば、ソニーは育ててくれますから大丈夫です。ぜひあとに続いてほしいですね。」
"

『SONY NEWS』No.219より

とその喜びを語っていました。

これ以前にもソニーの15周年記念の際、早稲田大学の大隈講堂で安田順一とともに「特別賞」を受賞したことがありましたが、そのときはテープレコーダー開発に対しての賞でした。

その後、第4回『井深賞』においても、戸沢奎三郎 (とざわ けいざぶろう、ソニー元専務取締役、ソニー・エナジー・テック前取締役会長) とともに「ベータシステム全般の開発製品化に貢献」したことで2度目の井深賞を受賞しています。

木原は自身について

「技術屋」ではあるが「上司」ではなかった

とインタビューなどで語っていました。自分よりも若い技術者には新しい知識と技術があり、また柔軟な発想が備わっている、優れた技術を体得している人は年齢を関係なく先生である、と考えていたのです。

会社の経営者として、また技術者であり上司として、多くの目標を与えてくれた井深大について木原は、

" では、誰が上司と言われる人なのでしょうか。それは井深さんのような人です。
井深さんは、誰に対しても深い理解を持っています。特に、技術屋の心をよく知っています。私は井深さんから命令を受けたことがありません。その代わり、たくさんの目標を与えてくれました。命令とは一方的な指示であり、盲目的に従えばよいだけで、従わなければ評価が下がるかクビでしょう。
しかし本当の技術屋は、目標さえ与えられれば喜んで自由な発想で新天地を開こうとします。本当の技術屋は命令ではなく、目標を求めているのです。
技術屋は、自分の仕事に全力を傾注して目標を達成しようとして努力していることを忘れないでほしいものです。井深さんはその点はよく知っていて、技術屋が精根込めて創り出したものに対して、心から喜んでくれます。
"

ソニー技術の秘密』第5章より

と、上司としての井深大に絶対的な信頼を持ち、自らも部下を抱える上司として多くの目標を部下達に与え、いつしか木原の元で開発を共にした技術者たちから、

「木原さんのところで仕事を教わったことで、今日の楽しい毎日があります。あのころは我々に技術を教えてくれた学校のようなところでした」

ソニー技術の秘密』第5章より

と語られるようになり、『木原学校』という名前が技術者達の団結のシンボル名となったのでした。

井深大の書き記した「設立趣意書」の会社創立の目的のなかにある

『真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設』

の意図を実践し、『木原学校』と呼ばれたソニーの中核第2開発部は、

「人材を育てながら技術開発をする」

という木原のポリシーの下で、伸び伸びと開発できる環境にあり、『設立趣意書』の意図を読み取り、井深大の精神を理解し、木原の下で学び受け継いだ多くの優秀な卒業生達は、後のソニーの中枢を支える貴重な存在となっていったのです。

文:黒川 (FieldArchive)


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