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自分は失敗のノウハウを全部持っている! 『失敗をラッキーと思え』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (58)

ソニー創業者の一人・井深大 (いぶか まさる) 氏の秘蔵っ子といわれ、日本初のテープレコーダー、世界初の家庭用VTRなどの開発者・木原信敏 (きはら のぶとし) 氏は、1988 (昭和63)年に発足した『(株)ソニー木原研究所』の代表取締役として、「三次元コンピューター・グラフィックス」のシステム開発を主に、独創かつ創造的商品の研究開発を行い、開発に苦労する多くの優秀な若き技術者たちへの応援の言葉として、自身の経験から「失敗をラッキーと思え」と語っていました。

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「失敗しても悩むな。ラッキーと考えろ」

私は若い技術者にいつもこう言って聞かせている。

技術者もある程度キャリアを積んでくると必ず一度は大きな壁に突き当たる。それもまじめな人ほど、失敗に打ちひしがれてしょんぼりしまいがちだ。そんな時、私は

「あなた、しょぼんとなる必要なんかないじゃないか」

と肩をたたく。
励まされた方は皆、一瞬当惑した顔になる。中には

「こんなへまをしたのに何でラッキーと思えるのか」

と反発したりする人さえいる。しかし、考えてみてほしい。失敗とは最高のノウハウなのだ。

「こういうことをやったからダメになった」

というのを、身をもって体験したら、次からはそれをやらなければよい。
そんな風に自信が得られるのを、ラッキーと呼ばずに何と呼ぶのか。
私自身はそのことを、世界初のオープンリール式家庭用VTR『CV-2000』の開発を通して実感した。

1960年代半ばのことだが、当時、VTRの開発を巡って各社とも従来のテープレコーダーの延長線上で記録・再生ヘッドに固定式を使う方式を模索していた。しかし、どうにもうまくいかない。

設計を変え、部品を変えて何度やり直しても一向に満足のいく性能が得られない。考えられる改善はすべてやり尽くした私は、ついに固定式に見切りをつけ、回転式ヘッドを考案した。私の場合、開発中は社内のトップ連中にも一切内証なので、はた目にはいきなり回転ヘッドでうまくスタートを切ったように映ったかもしれない。だが、固定式ヘッドでの度重なる失敗がなければ、回転式ヘッドへの道は開かれなかっただろう。

回転ヘッドに着目してからは、将来性も含めこれしかないと、ますますのめり込んで行った。結果はというと、回転式ヘッドはその後のVTRの基本形となり、ベータは言うに及ばず、VHS、8ミリとその原理が脈々と受け継がれている。

以来、今日まで技術者として恵まれた人生を送ってきた。それを支えたのは

自分は失敗のノウハウを全部持っている

との自信だった。

そのノウハウも自分の手を汚してこそ本物になる。人のやったことを本で読み、「ははあ、この人はこんなことを言っているな」とうなずいているだけではダメ。まずは後追いでもいいからやってみる。その過程を通じて自分なりの答えを見つける姿勢が大切だ。

私の場合は、何かを作りたいという欲求が頭をもたげてくると、いても立ってもいられなくなる。人に部品を作ってもらうのがもどかしく、自分で図面を描き、実際に組み立ててみることもしばしばだ。

不思議なもので、機械というのは自分で組み立て、動かしてみることで技術の良し悪しが分かる。

経験から言うと、

素性のいい技術ほど、すんなりと見た目にも美しく仕上がる。

逆に、ばんそうこうを継ぎはぎして形を繕っているような機械は基本思想が悪い証拠。いくら手を加えたところでしょせん本物にはなり得ない。

こうした本質を見抜く目も、幾多の失敗を経て培われるものだ。

木原信敏『NIKKEI BUSINESS』1991年11月4日

木原信敏 (きはら のぶとし) 
1926年東京生まれ。1947年早稲田大学専門部工科機械科卒。同年東京通信工業入社。1958年社名をソニーに変更。1967年第2開発部長。1970年取締役。1974年常務取締役。1982年専務取締役。同年開発研究所長。同年IEEEデービッド・サーノフ賞。1983年IEEEフェロー。1988年ソニー木原研究所社長。1989年ソニー相談役。1990年紫綬褒章。ビデオテープレコーダーなどで特許を約700件 (国内約330件、海外約370件)。


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