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「ソニー技術の秘密」にまつわる話

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ここでは、ソニー株式会社の研究技術開発の要を果たし、「ソニー創成期の基礎技術」を確立させた 木原信敏 (きはら のぶとし) の著書『ソニー技術の秘密』に記された研究開発の歴史を振…
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ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者が残した名著 〜 『ソニー技術の秘密』 にまつわる話を

■ ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者1946年 (昭和21)年に井深大、盛田昭夫により創設され、現在では世界的な大企業としてその名を世界に轟かせている ソニー株式会社(Sony Corporation) その創業期より数々の「世界初」「日本初」の製品を誕生させ、ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者がかつて存在していました。 1950 (昭和25) 年に発売された、国産初のテープレコーダー『G型テープコーダー』。 1955 (昭和30)年に、ト

自作の受像機 (テレビ) で試験電波を受信 〜 トランジスタ開発の進歩で実現したマイクロテレビ 『TV-8-301』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (26) ソニーの一時代を築いたテレビといえば、まず1967年に誕生した『トリニトロン(Trinitron) 』。そしてその30年後には『WEGA (ベガ)』の愛称で販売された平面ブラウン管『FDトリニトロン』などがありました。 現在も大きなシェアを持つ、ソニーのテレビ製品開発のスタートは、東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) の技術者・木原信敏の手による自作の受像機 (テレビ) がきっかけでした。 1950 (昭和25)年頃、N

社運を懸けた一大事業! ソニー創業者の一人、井深大のアメリカ土産 〜『トランジスタ』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (28) ソニー創業者の一人・井深大 が1952 (昭和27) 年3月の初のアメリカ視察旅行から持ち帰った「ステレオ音響」の他に、もうひとつアメリカ土産がありました。それが、真空管に変わり様々な分野で今も使用されている電子部品『トランジスタ (Transistor)』でした。 『トランジスタ』は1948 (昭和23) 年にアメリカの通信研究所「ベル研究所 (Bell Laboratories)」の研究者、ウィリアム・ショックレー(Will

コンパクトカセットに先駆けること7年! 〜 世界初のトランジスタ式マガジンポータブルレコーダー『ベビーコーダー』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (29) 「トランジスタ回路を使って記録再生すること、機構部はマイクロ・モーターを用いて極力小型に作り上げること」 を目標に、東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工)の技術者・木原信敏によって開発された、日本初の超小型テープレコーダー『ベビーコーダー』試作機が、1954 (昭和29)年10月19~24日に開催された千代田区の東京会館、東京三越本店でのトランジスタ応用製品の展示即売会に出品されました。 東通工でのトランジスタ開発が進み、

トランジスタ開発の要、 技術者の執念を見せたソニー半導体技術の記念碑 〜 『岩間レポート』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (30) 東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) での『トランジスタ』研究開発の発展に大きく貢献したのが、後に 「ソニー半導体技術の記念碑」 と呼ばれる、岩間和夫 (いわま かずお、後の第4代ソニー社長) がトランジスタ技術視察のために渡米した際に書かれた報告書、通称『岩間レポート』でした。 ウエスタン・エレクトリック (Western Electric)社(以下WE社) での工場視察、ベル電話研究所などでのトランジスタ製造や、研

世界初のトランジスタから全て一貫生産を実現!井深大の願いを叶えた日本初のトランジスタラジオ「TR-55」

「ソニー技術の秘密」にまつわる話 (31) 1955 (昭和30)年1月、 東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工) 創業者・井深大がトランジスタラジオの開発を宣言した「1952年」にちなんだ型番を持ち、また「国連ビル」の愛称で呼ばれた、東通工初のトランジスタラジオ『TR-52』が完成します。 ジャンクション型のトランジスタ五石使用、スーパーヘテロダイン式受信機で、四角いプラスチックの筐体に四角の穴が多数開いているもので、それが国連ビルのように見えるため 「国連ビル」と

技術の進歩と時代の発展を信じ、トランジスタ研究チームとの協力により完成! 〜トランジスタ方式 『SVー201』 試作

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (35) 1958 (昭和33年) 年12月、アメリカに遅れること2年。 ソニーの技術者・木原信敏は、一時は資金不足で中断していたVTR開発を再開させ、わずか4ヶ月でアンペックス (Ampex)方式による『国産第1号機VTR』を完成させます。 『国産第1号機VTR』では、当時アメリカのメーカで主流であった、「4ヘッド方式」を採用しており、世界中のテレビ局でもこの方式によるVTRが導入され始めていました。 しかし木原は、大型で複雑なこの「

画面をトランジスタで美しく映し出す完全な商品化を目指す! 〜 世界初オールトランジスタ化工業用VTR 『SV-201』 完成

「ソニー技術の秘密」にまつわる話 (36) 1960 (昭和35) 年12月、 ソニー技術力の結晶ともいえる、全て自社生産による、完全なトランジスタ化を実現した、世界初、世界最小のオールトランジスタVTR『SV-201』が、ソニーの技術者・木原信敏率いる研究開発チームの手により完成します。 これは、VTR小型化の第一段階完成形というもので、使用されたトランジスタは96個、ダイオードは35個。固定2ヘッド、ヘリカルスキャン、2㌅テープ、重さ200kg。 従来の放送局用アン

技術立国日本の基盤を作った技術者たちの開発物語 〜 『電子の世紀』 林芳典 著 (毎日新聞社 1966)

「ソニー技術の秘密」にまつわる話 (41) 1965 (昭和40) 年11月より、100回に渡り毎日新聞紙上で連載された『電子の世紀』は、技術立国日本の基盤を作った技術者たちの開発物語を紹介し、1966 (昭和41) 年5月に書籍として発刊されました。 著者の林芳典 (はやし よしのり) は、毎日新聞経済部の財界担当記者で、自身でも「科学技術には縁遠い」と語っていますが、この本については「技術上の記述が正確なのには感心した」と専門家からお墨付きをもらったエピソードが残って

吹上御所に設置された、ソニーの隠れた開発品 〜 天皇陛下の 『トランジスタ・インターフォン』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (49) 宮内庁とソニーの関係は古く、ソニーが東京通信工業の時代から国産初、または世界初の製品が開発されると昭和天皇皇后両陛下、皇太子殿下、皇族の方々が会社を訪問され、見学をされていかれることが多々ありました。 こういった背景から、1961 (昭和36) 年、東京通信工業 (現ソニー、以下 東通工)の技術者・木原信敏は、宮内庁から 「天皇皇后両陛下と侍従、女官を結ぶ使いやすいインターフォンを」 との依頼を受け制作を開始します。 “