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技術の進歩と時代の発展を信じ、トランジスタ研究チームとの協力により完成! 〜トランジスタ方式 『SVー201』 試作

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (35)

1958 (昭和33年) 年12月、アメリカに遅れること2年。
ソニーの技術者・木原信敏は、一時は資金不足で中断していたVTR開発を再開させ、わずか4ヶ月でアンペックス (Ampex)方式による『国産第1号機VTR』を完成させます。

『国産第1号機VTR』では、当時アメリカのメーカで主流であった、「4ヘッド方式」を採用しており、世界中のテレビ局でもこの方式によるVTRが導入され始めていました。

しかし木原は、大型で複雑なこの「4ヘッド方式」の将来性に疑問を持っていました。

「4ヘッド方式」では将来的に考えてもポータブルにはできず、家庭用には使用不可能。また特定の専門知識のある人のみが使用できるもので、一般の人が使用できないこともあり、

「誰もが使えるものにするにはこれしかない」

木原は小型化への可能性を秘めた「回転2ヘッド方式」を選択します。
しかし、アメリカのメーカからは「実現不可能な夢物語」と、それにこだわり続ける木原は嘲笑されてしまいます。

" ソニーは、アンペックス社とはテープレコーダーの関係で古くから交流はありましたが、トランジスタの技術公開と覚書の交換を行ってからはさらに深く交際するようになり、その後何回かアンペックス社から技術者が多数来社して、トランジスタ回路について熱心に研究を進めていきました。
 そのとき我々が試作をしていた大きなドラムの二ヘッド式VTRを見て、「あなた方はなぜ二ヘッド式VTRを研究しているのか。我々も開発してみた。RCAもやってやめてしまったものを、なぜやっているのか」と、彼らは大変疑問に思ったようでした。ソニーは二ヘッド式やヘリカルスキャン(螺旋状走査)方式のほうが将来性がよいと考えていると、いくら説明しても理解できなかったようです。
 挙げ句の果てに、「日本にはブラス(真鍮)がたくさんあるのか」と冗談を言い出す始末でした。
つまり大きなヘッド・ドラムを見て、真鍮の塊でできていると思い、馬鹿にしたのでしょう。彼らは、技術の進歩と時代の発展を見抜くことができなかったのです。
 しかし、ソニーはヘリカルスキャンによってVTR時代を築きあげることができました。それに引き換えアンペックスは、四ヘッド式に固執し続けていたためでしょうか、VTR時代から脱落をしてしまったようです。
"

ソニー技術の秘密』第4章より

1959 (昭和34) 年3月、
『国産第1号機VTR』でのアンペックス (Ampex)方式から「ソニー独自の研究を」という思いから、当時ソニー内部での研究開発が続けられ性能を大きく向上させていた『トランジスタ』を使用し、新たに「VTRの小型軽量化」にむけトランジスタ方式のVTR研究がスタートします。

VTRの原理と回路がわかってくると、トランジスタ化をするのに特に不可能なところはないのではないかと思いはじめました。そうなると、早速作ってみたくなるのが私の性分で、とうとう井深さんにトランジスタ化をやらせてほしい、と頼んでしまったのでした。
 アンペックス型VTRは、真空管を二〇〇本以上使った、大変に大がかりな機械です。それをトランジスタ化すれば、小型で故障の少ない機械にできるはずです。
 昭和三四年四月に実行許可を貰い、それからはトランジスタ化に向けて半年間の挑戦が始まりました。


ソニー技術の秘密』第4章より

木原は井深大が提唱する、

シンプル構造、小型軽量、高密度記録、将来性重視

というテーマを掲げ、VTRに使用するテープは7号リールの2㌅幅のテープを使用。研究開発中の『トランジスタ』を採用し、2ヘッドによる1フィールド2スキャニングの (テープ上を、ヘッドがらせん状に走行しながら記録/再生する) 「ヘリカルスキャン方式」で同年6月より試作が開始。

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1959 (昭和34) 年7月、
昭和34年度「研究補助金」を受け、通産大臣より『白黒ビデオテープレコーダーの試作研究』に関して738万6千円が交付。

1959 (昭和34) 年9月、
世界初となるトランジスタ化によるVTRの小型化に成功。
木原たち開発チームのテープレコーダー開発で培った技術力に、ラジオで培ったトランジスタのノウハウによって、テープ駆動部と電子系統部は一つのコンソールにまとめられ、信頼性の高い世界最小のビデオテープレコーダーを実現し、大きく姿を変えることになります。

そして、

1959 (昭和34) 年11月、
放送用2ヘッドトランジスタVTR『SV-201』試作機が完成。

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しかしこの時点では、機器に必要な高周波大電力のトランジスタが、性能が向上されたとはいえ、まだ満足に入手できず、一部真空管を用いたため、厳密には完全なトランジスタ化にとは言えませんでした。

ちなみに使用されたトランジスタは105石、真空管は9本。

トランジスタ開発と並行して進められたVTR開発は、共にそれぞれのチームの協力のもと、絶え間ない努力によって大きな進化を遂げていたのです。

この試作機は、翌年1960 (昭和35) 年1月12日に三越で開催された展示会に出品され、大きな反響を呼びました。

文:黒川 (FieldArchive)


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