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路上のストーリー力

あなたは路チューをしたことがありますか?

いきなり中学英語の日本語訳みたいな語り口ですみません。しかし、そう問い掛けられずにはいられない出来事がありました。なお、路チューとは言わずもがな、路上をはじめ公共の場でキスをすることを指します。

先日のことです。夜の街を歩いていると、ベンチに座っていたカップルがキスをしていました。いやキスどころではなく、もはやマグワイア状態でした。思わず「とんでもないことになってますよ!」と身を乗り出して眺めていたところ、隣を歩いていた上司に「いや、見過ぎでしょ」と一蹴されました。

以前も、会社の後輩と夜ご飯を食べに行った帰り道、路チューをしているカップルにバッタリ遭遇。「見て!チューしてる!」と言ったところ「うるさい、声でかい!」と一蹴されました。10歳以上も歳の離れた後輩にタメ口で叱られる悲しみはさておき、なぜ彼ら路チューを見て平然としていられるのか不思議でなりません。

僕は路チューを見るのが好きです。

エキサイト翻訳みたいな語り口ですみません。しかし多くの人はそうではないようです。「不快だ」とか「見たくもないものを無理やり見せられる感じ」とか「外国人なら分かるけど」とか。中には「ブサイクのキスは見てられない」などとルッキズムの搾りカスのような発言をする人もいます。

しかし僕はそうは思いません。そこがニューヨークであろうと新宿の路地裏であろうと、イケメンだろうとブサイクだろうと、路チューはいい。

”すべての路チューが美しい”。もし世の中に「路チュー株式会社」があるのであれば、ぜひスローガンに使っていただきたいものです。ちなみに「株式会社路チュー」でも構いません。

路チューをするとき、世界はその2人のためだけに存在しています。

たまに郵便受けに入っている宗教の勧誘チラシみたいな語り口ですみません。しかし、それは紛れもない事実なのです。

あらゆる人々、あらゆる物質は背景となり、彼ら彼女らを引き立てる脇役と化します。世界は2人のためだけに存在し、2人の関係が壊れた瞬間に世界は滅びます。そうです、セカイ系です。これが本当のセカチューです。「世界は2人のためにあるわけですよみなさん!」というサンボマスターの叫びも聞こえてきます。素晴らしいではないですか。美しいではないですか。

僕が路チューに惹かれるのは、ファーストキスが池袋の歌広場前だったこととは何ひとつ関係がありません。僕が路チューをしている2人にわざわざ近づいていくのは、その美しい世界の中で住人の1人として存在したいからなのです。

今あなたは「一体コイツはずっと何を言っているんだ?」と思っているかもしれません。大丈夫です。僕も同じ気持ちです。

もしもあなたが路チューに不快な気持ちを抱くのであれば、ストーリー力と想像力が欠如していると言えます。

例えば彼ら彼女らが、遠距離恋愛を経てようやく会えたがまたすぐに旅立たない事情があるとしたらどうでしょうか?例えば彼ら彼女らが、亡国から命からがら脱走してきた2人だったら?

そうです、思い出してください。2004年、ジェンキンス氏と曽我ひとみさんのキスを。あれこそキング・オブ・路チューであり、まさにストーリーの力です。知らない人はググってください。あのとき2人は世界中から称賛されたではないですか。あなたも拍手したはずでしょう!違いますか?!はぁ〜ん?!

失礼しました。少し取り乱してしまいました。「え、この話まだ続くの?」と思ったかもしれません。安心してください、そろそろ終わります。僕もヒマじゃありませんので。大事なのはストーリー力。そして、想像力です。それさえあれば、路チュー、ひいては世の中の理不尽さを暖かい眼差しで見つめることができるのです。

最後にこんな格言を紹介します。

「世に中には2種類の人間がいる。路チューしてる奴を見て顔をしかめるやつと、拍手を贈るやつだ」。

B級アメリカ映画みたいな語り口ですみません。

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